ある老人の秘蔵怪奇写真集

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本エントリーは怖い話を扱っております。ご注意ください。

皆様は写真好きですか?

今や携帯電話にカメラが付いているので、ほとんどの方が撮ろうと思えばいつでも写真が撮れるという恵まれた環境になりましたね。

今回紹介するのはこんな時代ではなく、写真がもっと特別だった時代の写真。19世紀初頭の写真集なのですが、1人の老人がある出版社に写真のコレクションを持ち込んできたそうです。

どれもこれも、どこか「異常」

ただ謎の力によって老人が買収され、出版には漕ぎ着けられなかったそうです。

海外の写真集なので馴染みづらい部分もあるかもしれませんが、最後までお読みいただけると幸いです。

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Anomaly

以下は海外の都市伝説を翻訳したものです。

はじめに

まず皆には僕がここで始めて書き込みするということをご承知してください。マナーやルールについて詳しく知りませんので、皆を不快にさせてしまうかもしれませんので。

僕がこの掲示板に書き込んだのは友達に紹介されたからなのです。というのも、今から話す一連の話や写真を友達に知らせたところ、ここを紹介されました。彼曰く、ここの皆はこの話を面白がって聞いてくれるとのこと…。

正直なところ今僕が置かれている深刻な状況から見て、この不気味なオカルト板さえある意味逃げ場になるのではないかと思えるほどです。

なにはともあれ、僕はこの現状をここの皆と共有したいのです。実際、共有することは法律に反しています。もし僕がこの掲示板に書き込んだと知れた場合、このスレは一日もかからずに消滅してしまうと思われます。

自己紹介

では、さっそく。僕はアメリカの独立系の出版社の編集者として働いております。自分の仕事は今後も続けていきたいので、これ以上の詮索はしないで欲しいです。給料はいいとは言えないかもしれないですが、すごくいい職場なのです。同僚が本当にいい人で。写真がいっぱい載っているような本を主に出版しております。

僕らの出版物については多くのひとは退屈と思うでしょうし、僕らの出版物だからということで買ってくれるような人も多くはありません。例えば特定の町の古い地図を載せた本だったり、伝記だったり。他には美術館なんかがカタログの作成を委託してきてくれたりもします。

とまあこんな感じの仕事です。仕事自体は退屈ですが、安定してるし、仕事量に比べたら結構給料は悪くないです。

僕らは結構長いことそんなニッチな仕事をしてきたので、歴史博物館の人やアイオワ州のどこともわからないようなマイナーな町の専門家にとっては結構有名ではあるのですが…。

持ち込みの原稿

そんな仕事柄、時にとても本には載せられないような原稿や写真が入ったCDが沢山送られて来ます。僕らは弱小中小企業。タレコミ専用の編集室なんてあるはずもなく、だいたい手の空いてる人が持ち回りでこれらの資料を処分することになります。

そんな投稿物について、ごく稀に、何か訴えかけるような価値を見出し、他の人に紹介するということがございます。最終的な判断は上級編集者が行うんですが。

タイトル「異常」

そしてここ9ヶ月、事務所の皆はある投稿物に熱狂的になったものですから、僕はほぼ無休でその編集に取り掛かりました。

主に原稿整理を担当している人が投稿管理の担当になったときにその話は舞い込んできたのです。身元のよくわからない老人が私たちに連絡を取ってきて、彼の貴重な写真を写真集にして出版して欲しいと言ってきたのです。

彼の言葉を使うなら、そしてその言葉はそのまま写真集のタイトルになる予定でしたが、それらの写真は「異常」でした。言い換えれば、それらは普通ではない、説明のできないようなものを写し出していたのです。

何か面白い曰くがありそうな写真ばかり。ほとんどが20世紀前半のものと思われました。

偏屈な老人

他の投稿と同じように、それらのほとんどは通常なら出版されないようなクオリティのものばかりでしたが、何枚かかなり魅力的な写真がありました。そこで一度その老人に会って、写真の話を聞いてみたんです。その結果、彼の写真には人を惹きつける何かがあると感じました。

そのときに彼から要望された様式は空白と白紙のページが沢山あるようなシンプルで古典的なものでした。見開きで右側のページに写真を刷って、左側のページは空白。右側のページを見ながらめくっていくような写真集になる予定でした。

僕としては彼と共同で作成していきたかったのですが、彼はそれをひどく嫌がり、さらに郵送1回につき1枚までしか写真を送ってくれないとのこと。僕はこの仕事は永遠に終わらないのではないかとさえ思いました。

彼が1枚の写真が入った封筒を送ってくる→僕が受け取りスキャンする→その写真を封筒に入れて彼に送り返す…これが一巡。一巡が終わってようやく彼は次の写真を送ってきてくれるといった具合です。

彼は彼のコレクションを貴重なものであると思い、失うことを過度に恐れていたのでしょうか。一度の郵送に1枚の写真しか危険にさらせないというわけでしょうか。最終的に僕はとんでもない通信費を支払うことに…。これなら僕があの老人のところにスキャナーとパソコンを持って行ったほうが安く済んだのではないかと思いますよ。

出版差し止め

作業がだいたい1/3くらいまで進捗したころでしょうか。その老いぼれが急に僕らの足元をすくってきたんです。誰かが彼に僕たちが払うといった金額よりも高い金額で写真を買うと言ってきたそうです。そしてその特約として僕らの写真集の出版は差し止め…。

そこで僕達はまずは直接会って話をするために彼を呼びました。そして「学術的価値がある」と彼のプライドを損ねないように持ち上げたりしました。彼は納得してくれたように思えたんです。

しかし彼は家に帰ってすぐ、また手のひらを返してきたのです。僕の上司と僕を電話口から罵倒してきて、出版中止を要求してきました。

彼は契約を破棄すべく企業訴訟に詳しい弁護士を雇ってきました。その弁護士は僕達がプロジェクトを継続した場合に請求する損害賠償金額はとんでもないことになると脅してきたのです。

さらにその弁護士はITに詳しい下請け業者みたいなのを連れてきて、僕の職場のパソコンに入っていた写真のスキャンデータを消してしまったのです。写真のデータの大部分はバックアップを取っておらずそのパソコンに入っていたので、ここ数ヶ月にわたる編集者人生で最も大きな仕事の軌跡を消されてしまった…ひどい横暴にあったと感じておりました。

報復

どんな仕事であっても報酬は受けるべきだと思います。それが僕がこの掲示板に来た理由なのです。残念ながらスキャンした写真の元の高解像度データは消えてしまいました。しかし写真集の何ページ分か簡単なドラフト版を作っていたので、そこにサムネイル程度に圧縮した画像が残されていたのです(製本ソフト『Quark』の仕様です)。

何故いまどき『Quark』なんていう旧型のソフトウェアを使っているのかについてはお察しください。いかんせん弱小企業なものですから。

フルサイズの画像を埋め込むとファイル容量が大きくなりすぎてしまうので、ほとんどの場合、フォントと簡単な図形だけでドラフト版を作ります。ただ、イメージを沸かせる為に何ページかは画像を埋め込んでいたのです。

ともかく、Quarkファイルをpdfに変換し、写真の部分をトリミングしました。これで皆に写真の一部をご覧に入れることができます。

写真集「異常」

僕はこれらの写真の真実性・出所に関して一切の責任を負いません。これだけはご承知ください。皆に以下の写真が本物であると思って欲しいとも思っておりません。僕はただ以下の写真は見る価値があり、あのクソッタレの個人的なコレクションに埋もれさせておくには惜しいと思ったから、貼り付けるというだけです。

Photo 1/14

The Collinwood Fire(コリンウッドの火災)

上はオハイオ州コリンウッド湖畔にあったコリンウッド学校で起こった火災の際に学校内で最後に撮られた写真である。1908年3月4日、校舎は全焼。172名の生徒・2名の教師・1名の救助隊員が亡くなったという凄惨な火災だ。火災の原因は蒸気管から天井の梁に引火したことによるものとされている。

炎が行く手を阻み、避難中多くの者がパニック状態に陥った。階段の踊り場が多くの犠牲者を乗せたまま燃え残ったという。また2階、3階の窓から火だるまになった生徒が飛び降りてきた際に、それと衝突しより多くの死傷者が発生した。

上の写真においても、最後の列の右端に座っているオルソン氏を除いて、生存者は誰一人としていない。写真の奇妙なブレの原因については不明である。

Photo 2/14

Charlie Noonan’s Last Interview(チャーリー・ヌーナンの最後のインタビュー)

チャーリー・ヌーナン氏は20世紀初頭にアメリカ南西部を旅し、超常現象やその物語を収拾していたアマチュアの民俗学者である。

彼の妻エリー氏によると、チャーリー氏はある日、オクラホマ州パンハンドルの農家の人から誰も住まないような郊外にただ1人で住んでいる女性に関する話を聞いたそうだ。

その農家の人によると、女性だと言われているが絶対に女性なんかではなく、別の存在らしい。詳しい正体はほっかぶりで隠れており、近づいて確認しようにも巨大な犬を連れているためできなかったとのこと。

チャーリー氏はかなり興味を惹かれたのだろうか、その女性を探してみることにした。そして彼が帰ってくることはなかったのだ。エリー氏は捜査願いを出すことに。

その後、地元タルサの新聞記者が質屋でチャーリー氏の名前が刻まれたカメラが販売されているのを見て、エリー氏に連絡してきた。その記者からカメラを譲り受けたエリー氏は、夫の居場所に関する手がかりがないかと中のフィルムを現像してみることにしたのだ。

そして上記が1ロールのフィルムに写されていた唯一の写真である。残念なことに周囲の情景からも詳しい場所はわからない。そしてパンハンドルの女性について話してくれた農家も特定できないまま月日は流れた。

Photo 3/14

The Death of John Ulsted (ジョン・ウルステッドの死)

上の意味深に引き裂かれた写真は、1862年9月のアンティエタムの戦闘が始まる1ヶ月前の連合軍の軍旗衛兵隊を写している。

右端のに写る男性の名はジョン・ウルステッド。アンティエタムの戦闘にて大砲の弾が彼に命中し、頭部右半分と右腕が吹き飛ばされ亡くなった。この写真が引き裂かれたのは果たしてその前だとでも言うのだろうか。

Photo 4/14

The Axeman of New Orleans(ニューオーリンズのアックスマン)

エドワルド・マーテルは20世紀初頭に20年間アメリカ全土を旅したフランス人カメラマンである。コダックの人気の「ブローニー」に自動露出機構やタイマーなどの追加装置を開発した発明家でもある。彼は旅行の間に発明品のテスト・改良すべく何千もの自動撮影を行った。

彼はしばしば早起きをして、街の通りの目立たないところに隠しカメラを設置し、街で起こったことを記録していた。これにより彼がカフェやバーに出かけたとしても、カメラが勝手に彼の旅の軌跡を残してくれるというわけだ。

これらの写真の中で最高のものだけが1924年にパリの美術館に展示されることになった。

残念なことにマーテル氏は1955年にお亡くなりになった。彼の娘ジェニーは遺品の写真を一枚一枚見て、どれを手許に残しておくべきか吟味したそうだ。その過程で上の写真が目に入った。

1919年10月28日の朝、マーテル氏がフランスに帰る蒸気船に乗る数時間前にニューオーリンズで撮影された写真である。

マーテル氏は写真のピンボケを嫌っていた。なぜならば彼はピンボケについて彼の開発した機構のシャッタスピードやレンズの精度の問題によるものと考えていたからだ。この偏見により彼自身はこの写真に写っている重要な点を見落としてしまっていたのだろう。

さて、この写真の何が特別か。この写真が撮影される前の日の夜、「ニューオーリンズのアックスマン」として知られていた悪名高い連中が最後の殺人を犯したのだ。被害者マイク・ペピトーン氏の家に侵入し、彼をベッドルームで殺害。彼の妻も同様に殺害された。

そしてこの写真でドアに男が立っている建物は被害者宅。では彼は?

Photo 5/14

The Grand Caverns Cryptids (グランド・キャヴァンズの脅威)

上の写真は1895年、バージニア州南西部のグランド・キャヴァンズの地図化されていない区画を探索しているときに、オーレン・ジェフリーズというアマチュア探検家・カメラマンが撮影したものである。

この写真を撮影したときジェフリーズ氏はピンホールカメラを使用して、光が全くない状態で撮影ができるかどうか試している最中だったという。出来る限り洞窟の深くまで潜り、ランタンの明かりを消す。そしてお手製のカメラのレンズを露出させ、ただただできるかぎり長くその場でじっと待つ…。

彼は待機中、洞窟のより深くから何らかの呼びかけを聞いたそうだ。

あまりの恐怖でジェフリーズは実験は放棄し、市販の通常のカメラのフラッシュライトを焚いた。後に彼が地元紙に残した報告によると、彼は人型の生き物の影が彼を見つめているのを見たそうだ。すぐにそれらの存在は走り去り、見えなくなるまで立ち止まることはなかったと言う。

数日後、彼は再びピンホールカメラを持って、今度は単独ではなく3人の仲間と共に同じ実験を試みた。そしてその結果撮れた写真が上のものである。

Photo 6/14

The Harlow Twins (ハーロウの双子)

1938年イリノイ州エバーグリーンにて(シカゴ郊外)。ビリー君とスティービー君は母のタミー氏と一緒にフォードのセダンの前部座席に座っていた。しかし彼らの車はクライスラーと正面衝突してしまったのだ。衝突後、彼らの車は回転し、2台の自動車に追加で衝突した。

母親のタミー氏は生き残ったが、2人の男の子はフロントガラスから放り出されお亡くなりになった。地元紙の写真家がクライスラー側の運転手であるジョン・ダウニング氏を救出するために奮闘しているボランティアの様子を撮影した。

まるでビリー君とスティービー君が様子を見ているような影が…。

Photo 7/14

The Sorrenson Tragedy (ソレンソンの悲劇)

ソレンソン家は1905年から1906年の間にアメリカに移住したデンマークの家族であった。彼らは長男のアンダーズ君(ロバに乗っている子)と一緒に渡米し、ミズーリ州の農場に入植した。追ってシモーネちゃん、フリックちゃん、マチルダちゃん(真ん中、右側、ワゴンの中)という他の3人の子供も渡米した。1916年に撮影された上の写真は、悲劇の数週間に犠牲になった者を全て写している。

年長3人の子供達は納屋で砦ごっこで遊びつかれて、そこの干草の中で眠っていた。そこに父親のニコラス氏がやってきて、3人に木の杭を突き刺したのだ。写真の3人の子供たちの一部に切れ目のような光が入っているのが確認できるだろうか。ニコラス氏は奇しくも各子供達のちょうどその部分に杭を打ち込んだのだ。

最年少のマチルダちゃんは家に母親と一緒にいたので無傷ですんだ。メディアの取材を受けた近所に住む人によると、後日、写真のロバは首を有刺鉄線に巻き込まれ、壮絶な死を遂げたという。

この騒動の結末に関する詳細な情報は残されていなかった。

Photo 8/14

The Specter of Viola Peters(ビオラ・ピーターズの亡霊)

ビオラ・ピーターズ氏はジョージア州マッケイズビルという小さな田舎町に1人で住んでいた未婚の良家の娘でした。彼女はバプテスト教会、スープキッチン、地元の孤児院、うつ病治療への慈善寄付を精力的に行っており、地元のコミュニティでは大変愛されていた。それらの機関はほとんど彼女の寄付で成り立っていたのだ。

1935年7月、ビオラ氏は近くの銅精錬所でパートで働いていたトム・カリンという男性に性的暴行を受け殺害されてしまった。カリン氏はビオラ氏の家に立てこもり、17日間性的な暴行を与えた末、虐殺したのだ。

地元の人々はこれを受け激怒。カリン氏が収容されていた群の刑務所を襲い、カリン氏を拉致。トコア川の古い橋の上から彼を突き落とし、絞首刑にしたのだ。

この写真はこの騒動に立ち会ったガレット・キリアン氏によって撮影されたものである。これは騒動の数日後、アトランタ地元紙に載ったときに議論を呼んだ。多くはこれでビオラ氏も安らかに眠ることができると悪漢が制裁を受けたことに賞賛する声であった。しかし未婚のビオラ氏にとって最後の「恋人」だったから会いに来たんだな…という謎の意見が少なかったが挙げられた。

Photo 9/14

The Ghost of Sarah Eustace(サラ・ユースタスの亡霊)

ダンバーズ州立病院は、1874年にマサチューセッツ州の僻地に建設されたカークブリッジ様式の精神病院であった。

他のカークブリッジ様式と同様に、ゴシック建築の重厚な建物と精神病を治療するためには当時でも時代遅れと考えられていた医療技術の使用で有名であった。ダンバーズはしばしば、ロボトミー手術の発祥の地として文献などで持ち出される。

ダンバーズはH.P.ラブクラフト氏のいくつかの物語にも登場している。例えばダンバーズの登場する『Arkham Sanatorium(アーカム・サナトリウム)』という作品は、バットマンの『Arkham Asylum(アーカム・アサイラム)』という作品にインスピレーションを与えている。

実際に閉鎖後、現地で『Session 9(セッション9)』というホラー映画が撮影された。

この映画の見所はダンバーズの地下に広がる迷路のような廊下。これが優れた映像効果をもたらしている。撮影陣がこの地下トンネルを選んだのは偶然ではなく、前から企画されていたそうだ。というのも、地下トンネルの幽霊の噂が100年近く騒がれていたのだ。

最も有名な話では、1955年に病棟を脱出して地下トンネルに忍び込んだサラ・ユースタス氏の噂。捜索には何人も動員され、一週間も行われたが、サラ氏が再び現われることはなかった。彼女はトンネル内で遭難、脱水症状の後、亡くなったと推定された。

ダンバーズで働いていたゲイル・マロイという看護師は、サラ氏に関する噂に夢中になり、彼女の遺体を捜すべく多くの時間を地下トンネルで過ごしたそうだ。彼女はサラ氏の遺体を発見することはできなかったが、1966年後半に上の写真を撮影した。

サラ・ユースタス氏がダンバーズのトンネルを未だに彷徨い続けているとでも言うのだろうか。

Photo 10/14

The Stevenson Family Portrait (スティーブンソン家のポートレート)

幽霊がユーモアのセンスを持っていないなんて誰が言ったのだろうか。スティーブンソンズ家はボストンの富裕層で、事業の健全性や体の長寿を誇りとしてきた。

1945年に撮影されたこの集合写真は、最年長から最年少の一族を集めて撮った写真である。中心に写るエメリア氏は102歳で女家長として有名であった。そして右端のオフェリア君が最年少の生後8ヶ月である。

この日、亡霊が加わっていたなんて、この写真が現像されるまで当然彼らは気づくことは無かった。うっすらと写る男性。彼はジェームス・プルマン・スティーブンソン(1835-1932)であると、写真を見たスティーブンス家の人間はすぐに気づいたのだ。彼は生前イタズラ好きの破天荒な叔父として覚えられており、写りこんだのも彼の姪と従兄弟という親しい人物の間であった。

Photo 11/14

The Disappearances of Mrs. Yurno (ユルノ夫人の失踪)

晩年、ジョセフィン・ユルノ氏は毎晩、コネチカット州ノリッジにあるお気に入りの地区を散歩していた。

1935年11月12日。彼女はいつものように散歩に出かけたっきり、戻ってくることはなかった。ボランティアで集まった人々と警官隊により大規模な捜索が行われたが、彼女の痕跡すら発見することができなかった。

3年後、ユルノ夫人は傷一つ無く、完全に健康な状態で隣の家の前でしゃがんだ状態で発見されたのだ。彼女にどこにいたのかと尋ねても、彼女はその質問の意味を理解できていない様子であった。なんと彼女にとっては、失踪時から時間は全く過ぎていなかったのだ。

隣人や医師は検査を受けたほうがいいとアドバイスしたが、彼女はこれを拒否。何事も無かったかのように、いままでの生活が再び始まった。隣人はこれを気味悪く思い、1938年に上の写真を撮ったと言う。

上記の失踪から5年後の1940年11月の同日、ユルノ夫人は再び失踪した。そして今度は二度と姿を現すことはなかった。

Photo 12/14

The Fate of Sally York(サリー・ヨークの運命)

1912年、ノースフォーク繊維工場の綿織機械で起こった当時9歳のサリー・ヨークちゃんの事故は1916年のアメリカ初の児童労働法『キーティング法』の採用を後押しする歴史的事故の一つである。

事故後、40年間工場は操業し続けたが、労働者たちは謎の寒気、奇妙な騒音、誰も近くにいないはずなのに肩が叩かれるという恐ろしい現象に悩まされ続けたという。

上の写真はベニー・ジョンソンという旅行写真家によって撮影されたもので、ノースフォークの地元誌に10ドルで売られたものである。1932年に同誌に掲載され、それまで労働者の苦情を無視していた工場長の顔も青ざめた。

この写真が撮影された日はクリスマスで工場は閉鎖されており、誰一人中にはいなかったはずなのである。後日工場は潰れることになったが、大恐慌によるものという意見が多い中、やはり写真の影響が強いのではないかとの意見も多い。

Photo 13/14

Lily Palmer’s Eyes (リリー・パーマーの目)

リリー・パーマーちゃんが「急性幻覚発作」を始めて経験したのは若干4才のこと。

上の写真は1952年のハロウィーンの夜、リリーちゃんの母親アネット氏が撮影したものである。噂によるとこの写真はリリーちゃんを襲う幻覚を捉えてしまったものとのこと。

この後、リリーちゃんは幻聴と幻覚に襲われた。彼女の乳母と街に繰り出そうとしていたところ、謎の子供が急に叫んで彼女の目に爪を立て始めたというのだ。

リリーちゃんがそのとき見たものを尋ねられると「あの子の目に這うもの」と意味不明な回答を繰り返すばかり。その何日か後、いつも通りリリーちゃんが寝室にいるかと思うと、彼女は自らの両目を編み針で突き刺した。

外傷の治療を受けた後、彼女の精神鑑定が行われ、始めはマンハッタンの東側にあるベルビュー精神センターに、その後はオレンジバーグのロックランド精神センターに隔離された。最終的に彼女は2001年3月に心臓発作で亡くなったが、寿命は全うしたと言える。

ロックランドの元担当者の方にインタビューしたところ、「ハロウィーンの夜話には、リリーさんのエピソードは最もおどろおどろしかったが、ハロウィーン以外でその話を持ち出すのは厳禁だった」そうだ。

Photo 14/14

The Trinity Deception (神性の欺瞞)

上は初の核爆発で撮影された有名な写真の一つである。

ニューメキシコ州ソコロの南東約3​​5マイルのホルナダ・デル・ムエルト砂漠にあるホワイトサンド・プルービング・グラウンドで実施された「爆縮設計プルトニウム装置」の実験。

日本の長崎に投下されたファットマンと同じ方式の核爆弾の実験である。この実験が原子力時代と冷戦に世界を導いたと言っても過言ではない。

実はこの写真は公開前に一部切り取れらており、その事実を直接知るわずかな人間は皆死んでしまった。オリジナルを撮影した元写真家は世界の人々が写真に写る脅威に対処できるようになるまで、公には公表しないという条件で著者にオリジナルのコピーを譲ってくれたのだ。

「脅威に対処できるように」なったかどうか不明確ではあるが、これが最後のコピーであることから、真実を公表する責任を我々にゆだねたのではないだろうか。

まとめ

明らかに異常なものもありますが、異常さがわかりづらいものもありますね。

私にもわからないもの、あります!

<<『ミッドナイトゲーム』チャーリーゲーム、ブラッディマリーの親戚>>

<<戦争捕虜で人体実験?日本軍の「731部隊」>>

<<エクトプラズム?心霊現象を引き起こす物質>>

<<ロシアの睡眠実験>>

<<イギリス秘密情報部の「血液凍結実験」>>

ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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