ロシアの睡眠実験

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本エントリーは怖い話を扱っております。また、他のエントリーに比べて過激な表現を用いている場合がございますので、お読みになられる際はご注意ください。

皆様が生きていくのに不可欠な行動の1つに「睡眠」が挙げられると存じます。

「一日睡眠時間3時間でいける」とか、「3日間連続で徹夜できる」とか不眠の高レベル者は私の周りにもおります。鉄人です。

ですが、そんな鉄人でもいつかは睡眠しなければいけません。睡眠は確かに気持ちいいですが、眠らなくても済むなら眠りたくない人も沢山いるはず。

前エントリーで眠らなくてよくなる薬「Necrosleep」についてご紹介申し上げましたが、これも都市伝説であり、作り話である可能性が高いうえ、副作用も酷いものでした。

今回ご紹介するのもアメリカからの都市伝説。どうやらロシアでは不眠の研究が盛んだと思われているのでしょうか、「Necrosleep」と同じくロシアの研究に関するお話。

何でもある状況下で人間は、

起きている状態を維持するためならなんでもする

というのです。

今回はCreepypastaより、この都市伝説についてご紹介したく存じます。

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The Russian Sleep Experiment

以下はアメリカの都市伝説を翻訳したものです。

覚せいガス実験概要

1940年代後半、ソビエト連邦の科学者達は、覚せいガスを用いて、5名の被験者を15日間覚醒状態に置く実験を行った。

被験者は完全に密閉された環境に置かれており、科学者達はガスの濃度が高くなり、被験者が死んでしまわないように、常に実験チャンバー内の酸素量をモニタリングしていなければならなかった。

当時、監視カメラ等が導入される前であったため、マイクとスピーカー、そして厚さ13センチ程の丸いマジックミラーのガラス窓から室内の様子を観察した。

チャンバー内には、本、寝具の敷かれていない簡易ベッド、水洗トイレ、そして5人にとって少なくとも1ヶ月分にはなる乾燥食料が置かれた。

被験者の全員は、第2次世界大戦中、国家の敵とみなされた政治犯であった。

1日目~6日目

最初の5日間は何事もなく順調。被験者は「30日間眠らなければ、釈放する」という(嘘の)約束に対して不平をほとんど言わず、従った。

彼らの行動や会話はすべて監視され、留意点としては次第に彼らの過去のトラウマにまつわる会話が増えてきて、4日後には会話のトーンも暗く重苦しくなってくたことであった。

5日後、被験者は彼らの置かれた場所や状況に不平を言うようになり、そして重度の妄想性障害(パラノイア)患者のような振る舞いをするようになった。彼らは互いに語らうことを止め、交互にマイクに何かを囁くこと、丸い鏡を見ることをするようになった。

奇妙なことに彼らは全員、他の被験者と順番にそのような行為を行えば、研究者達の信頼を得ることができると思っているようであった。当初、研究者はこれらがガスそのものの影響なのかと疑った。

10日目

9日後、彼らの1人が叫び始めた。彼は何度もチャンバー内でシャトルランを行い、肺から大声を出し続けた。これは3時間続いた。彼は叫び続けようとしていたが、途中からはもはや鳴き声のような音が鳴り響くのが聞こえるのみであった。

研究者達は彼の声帯が物理的に損傷したと仮定した。

この出来事で最も驚くべきことは、他の被験者たちが彼に対して何ら反応を示さなかったことだ。被験者の2人目が叫ぶ出すまで、彼らはマイクに囁き続けていた。

2人目が叫びだしてから、他の叫んでいない被験者の内2名が、各々本を取り出して、ページの一面に自分達の排泄物を塗布し、ガラス窓に貼り付けた。

そして叫び声はすぐに止まった。

再びマイクに対するささやきが始まった。

13日目

それからさらに3日が過ぎた。

5人の被験者が中にいる以上、何の物音もしないはずがないと考えた研究者達は、被験者の安否を確認すべく一定時間置きにスピーカーを確認していた。

チャンバー内の酸素消費量から、5名の被験者は全てまだ生存していると推測できた。実際にその消費量は5人の成人男性が高負荷の激しい運動を行った際に消費する酸素量だったのだ。

14日目

14日目の朝、研究者は被験者から反応を得るために、最終手段をとった。研究者はインターホンを用いて、息絶えている、あるいは植物状態になっているかもしれない被験者の反応を喚起した。

…そして、このように警告した。

「マイクのテストをするべく、部屋のドアを開ける。直ちにドアから離れ、床にうつ伏せになること。さもなくば、銃撃す。従えば、早期釈放も考えられる。」

しかし、驚いたことに被験者達は

「僕らはもう、解放されたくありません。」

と穏やかな口調で返答した。

研究者と資金提供を行った軍部との間で論争が勃発した。結果、インターホンを用いてそれ以上の応答が無かった場合、15日目の深夜にチャンバーを開放することになった。

15日目

…チャンバー内の覚せいガスが排気され、新鮮な空気で満たされると、すぐにスピーカーから声が聞こえ始めた。

3人の声が、まるで愛する人の人生のために例のガスが不可欠であるかのように、ガスを戻すように懇願していた。

ドアが開放され、兵士が入り、被験者達を運び出そうとした。すると被験者はこれまで以上に大声で叫びだし、また、中の様子に気づいた兵士達も同じように絶叫しだした。5名の被験者のうち4名は生存していたが、誰もとても「生きている」とは思えない状況であった。

過去5日分の食糧については手付かずのようであった。

亡くなった1名の被験者の太ももと胸肉がチャンバー中央の排水口に詰め込まれており、排水を妨げ、床に10センチ程の液体が溜まっていた。その液体の何割を血液が占めていたのかについては、知る由もなかった。

4名の「生き残った」被験者は、皮膚と筋肉の大部分が体から剥がれていた

指先の筋肉が破壊され骨が露出していたことを踏まえると、傷が歯によって付けられたものであることが推測できた。創傷の位置、角度の詳細な調査により、そのすべてではないにせよ、ほとんどが自傷によるものであることが判明した。

4名の被験者全ての腹部の臓器が抜け落ちていた。心臓、肺、横隔膜はそのまま残っていたが、肋骨の筋肉や皮膚の大分部が裂けており、胸郭を介して肺が露出していた。それ以外のすべての器官、血管もその機能を維持していたが、取り出されて床に落ちていた。

4つのすべての消化器官が動いて、食べ物を消化していることが観察できた。彼らが食べていたものが支給された食べ物ではなく、切り取った自身の肉であることが明らかになった。

施設内の兵士の大部分はソ連の特殊部隊であり、様々な悲惨な光景を目にしてきた者たちであったが、その多くが被験者を回収するべくチャンバーに戻ることを拒んだ。被験者はチャンバー内に取り残されていたが、眠れないようにするためガスを入れ直してくれるように交互に懇願した。

被験者の抵抗

そして誰もが驚いたことであるが、被験者がチャンバーから運び出される過程で激しく抵抗したのだ。それによりソ連人兵士の1人は喉を掻き切られ死亡。またある者は脚の動脈を食いちぎられ重症を負うなど大惨事となった。

事件の後、数週間の内に自ら命を絶った者も含めると、関わった兵士の内5名がこの世を去った。

抵抗の際に、4名被験者の内の1名が脾臓を破裂させ、出血した。医療班が沈静剤を投与するも、抵抗を止めることができなかった。

彼は通常の10倍のモルヒネを投与されたが、まるで追い詰められた生物のように抗い、医師の腕の骨と肋骨をへし折った。

その時点で相当な出血をしており、その後2分間、心臓は正常に鼓動していたものの、血管内には血液よりも空気の占める割合が高かった。

2分後、心臓の鼓動が止まったにも関わらず、彼はさらに3分間「もっと」と繰り返し繰り返し叫び続け、周りの人間を攻撃、次第に衰弱していき、ようやく気を失った。この時点では死亡を確認できなかったため、他の被験者同様移送された。

他の3名の被験者は、強固に拘束され、別の医療施設に移された。3名の内、2名の声帯の損傷は軽度で、ガスを何度も懇願していた。

外科手術

4名の内、最も重度であった被験者は、施設にある外科手術室へと運ばれた。

臓器を体内に戻す手術の準備をしている過程で、鎮静剤が被験者には通常よりも効果が薄いことが判明した。

彼は麻酔ガスが手術台の下に置かれた際に、決死の抵抗を行ったのだ。彼は幅10センチメートルのレザーストラップで拘束されており、さらに兵士の腕により90キログラムもの力で抑えられていたにもかかわらず、その兵士の腕をへし折った。

ただ、彼を麻酔状態にするには通常の成人男性より少々多いくらいの麻酔薬で十分であった。麻酔が効き、彼が目蓋を閉じたとき、彼の心臓も止まった。脳死が確認されたのだ。直後に行われた検死の結果、血中の酸素濃度が通常の3倍であった。

彼の骨格に残っていた筋肉もひどく引き裂かれた状態であり、さらに抵抗の際に9本もの骨が破壊されていた。これらのほとんどは、彼自身の筋肉が及ぼした影響であると判断された。

2人目の生存者は、実験中、最初に叫び始めた被験者である。

彼の声帯は激しく損傷しており、手術を受けるか否かの意思表示すらできなかった。手術直前、麻酔ガスが彼の近くに搬送された際に不快で頭を激しく揺さぶるという反応を示したのみであった。

彼は麻酔なしで外科手術を受けることになったが、腹部の器官を元に戻し、残った皮膚を広げて覆うという6時間にも及ぶ手術の全工程で全く反応を示さなかった。執刀医は彼の生存は医学的に可能なことであったと述べている。

手術に立ち会った看護師曰く、何度か被験者と目があったそうだが、恐ろしいことにそのたびに笑顔を見せてきたという。

術後直後、被験者は医者を見るや否や、大声でうめき、苦労して何かを話そうとしたという。これは非常に重要なことであろうと判断した医師は、ペンと紙を渡し、被験者にメッセージを書かせた。そのメッセージは簡潔だった。

「切り続けろ」

他の2名の被験者についても、麻酔を用いず、同様の手術が行われた。しかしながら、術中、彼らには部分麻酔を投与せざるをえなかった。被験者が術中、笑い続けたので、外科医が手術を続行することが困難になったのである。

一時的に被験者は同行した研究者を目で追うことしかできなかったという。部分麻酔が解けた後は、異様に短い時間で体勢を整え、手に巻かれたバンドから抜け出そうとした。話せるようになった後は、再びガスを求め始めた。

研究者は何故彼らが負傷したのか、何故自らの腸を引き裂いたのか、何故ガスを再び求めるのかと尋ねた。彼らから得られた回答は一言のみ、

「起き続けなければならない」

実験再開命令

3名の被験者はより強い拘束具を付けられ、元のチャンバー内に戻された。研究者のできることは、軍部が被験者への処遇を決断するのを待つのみであった。

研究者達は、軍事的なプロジェクトの失敗を受けて、軍部は激怒し、被験者を安楽死させるような決断をすると考えていた。しかし、指揮官は、元KGBが実験結果に潜在的な可能性を感じ、ガスを戻すとどうなるかに興味があるという伝達を受け、チャンバー内にガスを戻すよう研究者たちに命令した。

研究者達は強く反対したが、ことごとく却下された。

再びチャンバー内を密閉状態にする前の準備として、被験者をEEGモニター(脳波モニター)に接続。拘束具には長時間拘束用のパッドが詰められた。

誰もが驚いたことなのだが、ガスが再び与えられると聞いたとき、被験者全員が苦しむのを止めたのだ。この時点で、3人が起きつづけているために尋常ではない戦いをしていたことは明らかであった。

話すことができる被験者の1人は大声でハミングをしはじめた。声を出すことができない被験者は足を拘束しているレザーバンドを思いっきり緊張させた。右足、左足、右足…とリズミカルに。残りの1名の被験者はヘッドレストから頭を離して、高速で瞬きをし始めた。

EEGモニターが設置された後、ほとんどの研究者達は彼らの脳波を見て驚愕した。彼らの脳波はほとんど正常であったが、時折フラットになることがあった。

フラットとはつまり脳死状態。脳死状態から正常に戻るという動きを繰り返していた。

研究者がEEGモニターから吐き出される記録用紙を見ている一方で、看護師の1人が1名の被験者の頭が枕に当たる瞬間、被験者の目が白目になったことに気づいた。

そして直後、彼の脳波は深い睡眠の脳波に変わり、最終的に脳死状態を示すフラットになった。その後、彼の脳波が戻ってくることはなかった。

実験終了

これで話すことができる被験者は1名のみとなった。その1名は、今すぐチェンバーを密閉するように叫び始めた。

指揮官は、密閉を命じ、被験者といっしょに密閉される研究者を3名指名した。

しかしその研究者の内、1名がピストルを直ちに取り出し、その指揮官の額を撃ち抜き、続けて声を出すことができない被験者の脳を吹き飛ばした。

彼は残された唯一の被験者に銃口を向けた。残りの研究班や医療班はその部屋から逃げ出した。

「俺はこんなものでここには閉じ込められない!お前なんかと!」
彼はテーブルに縛り付けられた被験者に叫んだ。

「お前は何者なんだ!」
彼は答えを要求した。
「俺は知らなきゃならない!」

すると、被験者は微笑んだ。

「そんなに簡単に忘れちまったんですか?」
被験者は尋ねた。
「私らはお前ですよ。
私達はあなたの中に潜んでいる狂気そのもの。
お前の心の最も奥深くの動物の心は、
常に自由になることを望んでる。
僕達は毎晩君のベッドの中に潜んでいるんだ。
あなたが我々の立ち入ることができない光の聖域にいるときは、
おとなしくさせられているだけなんよ。」

研究者は一瞬凍った。そして被験者の胸元に狙いを定め、引き金を引いた。脳波は次第にフラットになっていき、被験者は最後に言った。

「だから…ほとんど自由…」

まとめ

皆…寝よう!

ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございます。

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