よくドラマなどで、政治家などのお偉いさんが自分にとって都合の良くない事件をもみ消す闇が深いシーンがあると思います。
「これは極めて良くない。」
「既にマスコミ各方面に手は回しております。」
「君には迷惑をかけるな、といいたいところだが、私の秘書たるもの当然だ」
こういった真相を知ってしまってはいけない事件って本当にあるんだなと思わせてくれる事件のひとつに
「プチエンジェル事件」
という事件がございます。
プチエンジェル事件自体は解決されたことになっておりますが、関係者に政財界の大物が多数関係しているといわれており、様々な情報操作が行われたのではないかと噂されております。
デートクラブ「プチエンジェル」
時は平成11年、日本では18歳未満の児童を風俗系のお仕事に斡旋したり、従事させたり、あるいはそのお客さんになることを厳しく禁止する法律が施行されました(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)。
これに違反した場合、5年以下の懲役・もしくは500万円以下の罰金・あるいはその両方を科せられることになります。
これは業務上過失致傷という、不注意で人に大怪我を負わせてしまったことによる罪よりも重くなっております。
さて、そのような法律が制定されてから4年後。「プチエンジェル」というデートクラブの存在が明らかになりました。
デートクラブの経営者
プチエンジェル事件の容疑者である吉里弘太郎(よしざと こうたろう)という当時29歳の男性は「プチエンジェル」という屋号の未成年デートクラブを経営しておりました。
ちなみに吉里容疑者自身も過去に売春で逮捕歴があり執行猶予中でした。
「プチエンジェル」の業務内容としては、渋谷や原宿などで高額案件の風俗系のチラシを配るなどをして未成年の少女を勧誘。
プチエンジェルに勧誘する役として、抵抗感を少なくするためにスカウト済みの未成年を利用することもあったそうです。
プチエンジェルの実店舗は存在せず、勧誘に成功した少女を、男性客に斡旋する他、その他公序良俗に反する映像・写真を撮影し販売するなどを行い、多額の利益を得ておりました。
プチエンジェルの会費
プチエンジェルは完全会員制のデートクラブでした。
プチエンジェルの会費は年間60万円。さらに未成年との行為は5万円。
経営者であった吉里氏の取り分は、中高生で1万円、小学生で3万円という取り決めだったそうです。
プチエンジェルのサービスとして、他にチラシで確認できたものは、「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」といかにもいかがわしいものばかりでした。
プチエンジェル事件概要
ただ、未成年のいかがわしいお店が摘発されることは少なかったというわけでもなく、実際、当時毎年1,000人以上が摘発されておりました。したがって、「プチエンジェル」もその犯行だけでは報道にはいたらなかったと存じます。
誘拐事件として捜査
しかし、「プチエンジェル」を経営していた男性が、勧誘した当時小学六年生の少女4人を東京赤坂のアパートの一室に監禁してしまったのです。
警察はプチエンジェル事件の容疑者、吉里氏を誘拐容疑として扱いました。
これにより、少女4名の行方不明事件がマスコミで報道され、その流れから「プチエンジェル」の存在が世間に明らかになりました。
以下は当時の共同通信からの引用です(一部表記を編集)。
女性の写真と名簿押収 4女児監禁事件で警視庁
東京の4女児監禁事件で、監禁場所の東京・赤坂の短期賃貸マンションから被害児童とは異なる複数の女性の写真や名簿が押収されたことが18日、分かった。
警視庁捜査1課と少年育成課は、自殺した吉里弘太郎容疑者(29)=横浜市港北区=が今回の女児4人以外にも、以前から若い女性をだまして部屋に連れ込んでいた疑いがあるとみて、名簿と写真の分析を急いでいる。
手錠や目隠し用アイマスクは4人分だけ用意しており、自さつに使った練炭、しちりんは犯行直前に購入したとみられ、捜査1課などは女児の人数を把握した上で誘拐し監禁、自殺した計画的犯行と断定。単独犯行とみて現場検証を行い、動機の解明を急いでいる。
調べでは、吉里容疑者は「プチエンジェル」という会社名と自分の携帯電話の番号を記載したアルバイト募集のチラシを使い、東京・渋谷などで少女らを誘っていた。
プチエンジェル事件を受けて当局は渋谷での一斉補導を実施。結果、少年少女1,500名以上が補導されました。
誘拐・監禁事件の解決のフロー
以下はプチエンジェル事件の容疑者が誘拐・監禁、そして解決に至ったフローです。
2003年7月上旬、少女の内の1人が渋谷で容疑者に「プチエンジェル」に勧誘される。会ってくれたお礼として容疑者から金員を受領。
以降、容疑者と少女の間でしばしば連絡がとられていた。
7月13日、容疑者から「部屋の1万円で掃除して欲しい」と頼まれ、被害者の少女4人は渋谷駅前のモヤイ像前で容疑者と待ち合わせる。
(追記)容疑者である吉里ともう一名の別の男性がモヤイ像前に到着する。
そこからタクシーで赤坂にあるウィークリーマンションに連れて行かれる。
(追記)そのウィークリーマンションはインターナショナルプラザ赤坂№1 11F1101室(港区赤坂2-17-54)
ちなみに下記に記載してあるが、このウィークリーマンションは取り壊され、現在はホテルになっている。
少女たちがマンションで掃除をはじめると、容疑者の態度が豹変。少女たちは手錠と目隠しをされ監禁される。
「プチエンジェル事件」の闇
フローを見ていただくだけでも、なにか陰謀めいたものを感じるかもしれませんが、噂されているものを挙げていきたく存じます。
利益35億円の単独犯
プチエンジェル事件の容疑者である吉里氏が「プチエンジェル」で儲けたお金の総額は
35億円以上
にもなるといわれております。
そのような利益額を1人の人間が稼ぐことは可能なのでしょうか。業務内容をみるだけでも
- 勧誘
- 斡旋
- 販売
があり、他にも経理、顧客・キャストの管理、埼玉県久喜市のマンションでの棚卸管理など様々な業務があったことが想像できます。
仮に、それを1人でこなし、他の追随を許さない利益を得ることができたとして、多くの潜在的な危険があるビジネスを続けるインセンティブがまだ存在したでしょうか。
まわりの業者が次々と摘発されていく中、次は自分かもしれないという不安に耐え続けなければいけない生活をいつまでも続けるでしょうか。
プチエンジェルの利益はより上の存在に搾取され、容疑者の手取りが少なければ続けることになっていたのかもしれません。
ともあれ、これだけの規模のビジネスが存在していたのにもかかわらず、警察当局はプチエンジェルにまつわる一連の事件を単独犯によるものと断定し、捜査を打ち切っております。
普通なら芋づる式に多くの悪党が検挙されると思うのです。
容疑者が高級車2台を売却
さてプチエンジェル事件で帰らぬ人となってしまった吉里容疑者。彼の死は彼自身が望んでいたものなのかについては議論がなされております。
その理由の1つとして
吉里氏がこの世を去る2日前に、高級車のフェラーリを2台売却していること
が挙げられます。
お墓にお金は持っていけないことは皆様ご存知のはず。
かといって、車も持っていけるわけではございませんが、容疑者がわざわざそのようなことをしたのは何故なのでしょうか。
ちなみにその翌日7月12日には、ポリタンクや鉄アレイ、練炭、七輪などを購入している何者かが監視カメラに映っておりました。これが吉里氏かは不明。
ともあれ、これらはプチエンジェル事件に用いられた道具であるとのこと。
高級車を2台売却した理由として、これらを購入するためとも考えることもできます。
しかし、先に述べましたように、容疑者は「プチエンジェル」で稼いだ途方もない金員を所持していたのではないでしょうか?
生活雑貨数点を購入するために高級車を2台も売却する必要があったのでしょうか。
現場となった赤坂のウィークリーマンション
プチエンジェル事件の現場となった赤坂のウィークリーマンション(インターナショナルプラザ赤坂No.1)。実はこちら、プチエンジェル事件の容疑者である吉里弘太郎氏が契約していたものではないのです。
プチエンジェル事件で少女4名が誘拐される2日前、すなわちフェラーリ2台を売却した7月11日に別の男性が契約した部屋なのです。
(追記)このマンションを借りた男性は「ヤマザキ」と名乗る人物です。
果たしてこのプチエンジェル事件の現場となったマンションの契約者の男性は誰だったのかは明らかになっておりません。当時のプチエンジェル事件捜査当局が「ヤマザキ」氏は全くの無関係だと即座に断定したのです。
ちなみにプチエンジェル事件の現場のアパートは取り壊され、ホテルマイステイズプレミア赤坂というホテルになっております。
ビニールを被って練炭
プチエンジェル事件の容疑者はビニールをテント状に張り、その中で七輪に練炭を焚いて、息絶えた状態で発見されたとされております。
死亡推定時刻は発見の数十時間も前。
図によると椅子で練炭の熱が直接ビニールにあたることを防いでいたようです。
当時のプチエンジェル事件を取り上げた週刊誌などでは、この方法によると、1,000℃以上にもなる練炭の熱にビニールが耐えられることは考えづらい、外側からの目張りはおかしいのではないかという疑惑も提示されました。
ちなみにプチエンジェル事件の容疑者である吉里氏の家族は皆過去に自らの手で一生を終えようとしており、唯一彼の母のみが未遂で終わっております。
(追記)
吉里容疑者の家族のほとんどが事件前に自サツでお亡くなりになっていることがわかりました。
- 父:1993年、頭頸部ジストニアを発症。1996年、自サツ。
- 兄:1999年、自サツ。
- 母:2001年、自サツ未遂。
(追記)
吉里容疑者の父親は、元朝日新聞の幹部。さらに元警視庁キャップであったことがわかりました。
アイマスクの謎
プチエンジェル事件の被害者の少女4名はアイマスクをつけられました。
しかしよく考えるとプチエンジェル事件の容疑者である吉里氏の顔は4人の少女全員が把握していたはずです。
さらにアイマスクを付けられたのは部屋に入ってから。
アイマスクは必要ありませんよね。
吉里氏は何故少女たちにアイマスクをつけたのでしょうか?
プチエンジェル事件被害者少女の証言
当時、プチエンジェル事件の被害者である4名の少女達は当然警察の事情聴取をうけました。
彼女達は、このワンルームマンションで起こったことについて、
「なにも聞いていないし、なにもなかった。警察が来るまで彼が自サツしていることなんてしらなかった」
「容疑者は私達(被害者の少女)の様子を、壁越しに音で把握していた。」
「男の声が聞こえなくなったので、逃げ出した」
と証言しました。
プチエンジェル事件の現場となったマンションはウィークリーマンション。壁がものすごく薄い簡単な作りになっていたので、小さな物音でも壁越しに把握できたそうです。
少女達は壁の薄さについて証言しながら、別の証言では「何も聞いていない」と言ったのです。果たしてこれは本当なのでしょうか。
ならば、「男の声が聞こえなくなったので、逃げ出した」という証言はどうなるのでしょうか。つまりどちらかが偽証。
壁越しに自分達の様子が確認されているということを、少女達はどのように知ったのでしょうか。さらに彼女たちが吉里氏の自サツに気づかなかったのは何故でしょうか。
吉里氏容疑者がこの世を去る際に全く物音がなかったはずがありませんよね。練炭に火をつけて、自らを覆うビニールを目張りしなければならなかったのですから。
さらに、自サツ後は吉里死からの物音は一切しなくなるはず。物音がしなくなったから逃げ出したと証言する少女。しかし、吉里氏の死亡推定時刻は発見から数十時間も前。
少女たちは何かを見た、あるいは聞いたのではないでしょうか。
プチエンジェル事件現場の目撃証言
実はプチエンジェル事件について証言したのは当事者だけではありませんでした。
プチエンジェル事件の現場となった部屋から出てきた人物を目撃した人物がいたというのです。その人物によると、
男1名、女1名が部屋から出るのを目撃した。
彼らは吉里容疑者を「社長」と呼んでいた。
とのこと。
明らかにプチエンジェル事件の捜査線上に現れなかった人物の影が現れました。しかし捜査当局はこの証言を完全に無視し、この男1名・女1名の捜索をすることはありませんでした。
行われなかった司法解剖
上記のように、明らかにプチエンジェル事件の容疑者は不審な死を遂げてしまっています。
しかし、当時のプチエンジェル事件の捜査当局は容疑者の死には、
「事件性はない」
と結論を下し、容疑者の司法解剖すらしなかったのです。
マスコミの誤情報
プチエンジェル事件自体が起こったのは赤坂のアパートです。しかし当時のマスコミは
「渋谷で起きた誘拐事件」
と揃って報道しておりました。
なぜかというのを勘ぐると、やはり赤坂という場所は政治の中心「永田町」に近く、大使館や領事館などのお偉いさんのお勤め先が沢山ございます。
したがって、プチエンジェルの顧客名簿の中に政財界の大物の名がズラリと並んでいたのではないかとの噂もございます。
またプチエンジェル事件は当時、毎日のように報道されていた事件なのにも関わらず、ある日を境に全く報道されなくなったとも言われております。
消されたフリーライター
大手マスコミや編集部の取材班が取材を中止してもなお、フリーライターの染谷悟氏という方は独自にプチエンジェル事件の真相を探っていたといいます。当時「柏原蔵書」の名義で活動なさっておりました。
しかし、プチエンジェル事件は深入りしてはいけない事件であったのでしょうか、彼は後に東京湾で帰らぬ人となって発見されます。
彼の死を受けて、その後、フリーライター達はプチエンジェル事件の調査をすることはございませんでした。
(追記)当時の中日新聞で報道されておりました(以下、中日新聞から引用)。
東京港に男性の他殺体 38歳の元カメラマン
12日午前7時5分ごろ、東京都江東区東雲2丁目の東京港で、男性の死体が浮いているのを通り掛かったトラックの運転手が見つけ、110番した。男性は住所不詳、元フリーカメラマン染谷悟さん(38)。背中8カ所を服の上から刃物で刺され、頭2カ所を殴られていた。上半身を鎖で縛られており、警視庁捜査1課は殺人、死体遺棄事件として東京水上署に捜査本部を設置した。司法解剖して死因を調べる。
調べでは、染谷さんは岸壁から数メートルの水面に浮き、服の上から鎖が巻き付けられ、両手をひもで縛られていた。左足首にもひもが残っており、両足も縛られていたとみられる。腰には潜水用のベルト型の重しが付いていた。
染谷さんは発見時、黒っぽいTシャツに黒っぽい半ズボン。靴下を履いていたが、靴は見つかっていない。
現場は、東京国際展示場(東京ビッグサイト)の前。
ちなみに染谷氏はお亡くなりになる前に、「中国人にコロされる」と言っていたそうです。プチエンジェル事件は国際的な犯罪なのでしょうか。
花屋の証言の変遷
容疑者の元から逃げ出した一人の少女が助けを求めに行ったお花屋さん。その店員は当時31歳の女性でした。
彼女もプチエンジェル事件の参考人として事情聴取を受けることになったのですが、その証言が何故か一定ではないのです。
「少女が窓から助けを求めてきた」
↓
「少女が駆け下りてきて助けを求めてきた」
明らかに異なります。
さらにその花屋はプチエンジェル事件の現場マンションの表通りの反対側にありました。
必死に逃げる少女がわざわざ交通量の多い表通りを渡って、助けを求めるでしょうか。
プチエンジェル事件の現場マンションの一階にはコンビニがあったのにもかかわらず…
衆議院予算会議での失言
一見関係なさそうな衆議院予算会議。
しかし平成15年7月18日衆議院予算会議にて、当時参議院で防災担当大臣であった鴻池祥肇氏はプチエンジェル事件について言及
「少女4人も、加害者か被害者か分からない」
なんとも歯切れが悪く、国民の反感を買いかねない発言に非難を受け、後日撤回を宣言しました。
(参照:衆議院会議録情報 第156回国会 予算委員会 第26号)
鴻池氏のプチエンジェル事件に関する発言が意味するところは一体何なのでしょうか。
少女4人が加害者ならば、被害者となるのは誰なのでしょうか?
鴻池氏もプチエンジェル事件に直接の関与はしていなくとも、何らかの情報を持っていたのかもしれません。プチエンジェル事件に直接関係していなくても。
噂されるプチエンジェル事件の真相
さてこれらを受けて、ネットや週刊誌界隈では「闇が深すぎる」と話題になることがしばしばある「プチエンジェル事件」。
これ以上、深入りすると危ないとされている以上、新しい情報が手に入ることはないかとは存じますが、時々いろんな推測はなされることがございます。
- プチエンジェル事件の関係者が偉すぎて、マスコミはおろか警察も手を出さない?
- 皇室もプチエンジェル事件と関与している?
- プチエンジェル事件の容疑者は第三者にコロされてしまったのでは?
- 渋谷での一斉補導も、プチエンジェル事件に関する情報を握りつぶすため?
- プチエンジェル事件は影の内閣ともつながっている?
- etc
(追記)某有名カメラ会社の役員の離婚裁判
実はあるカメラ会社の役員の方がプチエンジェル事件の顧客の1人だったのではないか、という噂がございます。
未成年の高校生などを含む女性など300人あまりを買春している、時価総額1兆円を超える一部上場企業創業者の関係者である、60代の経営者A氏が、2003年に小学生4人が誘拐された、通称・「プチエンジェル事件」との関係を否定する主張を、裁判所に提出している書面で行っていることが、わかった。
死亡した犯人が借りていた、埼玉県久喜市のアパートからは、1000本以上のビデオテープと2000名に及ぶ顧客リストが押収されるなどし、顧客には会社経営者や医者、弁護士などが多数いたとされるが、実際にA氏自身が、顧客だったかは不明だ。
その一方で、A氏は、「この女の子たち、みんなヤラレちゃった」などと、周囲には嬉々として語っていた模様で、A氏の妻からも、A氏の法令遵守意識の低さを裏付ける主張として、本件の主張書面が提出されるみこみだ。参照:さくらフィナンシャルニュース(魚拓)
この経営者A氏はキャ○ンの役員の方なのですが、本エントリーにて積極的に個人情報について触れることは避けさせていただきます。
経営者A氏は当時の妻との離婚裁判にて、妻からプチエンジェル事件の関与について指摘されたので、書面にてその関与を否定したと思われます。
ただ周囲もA氏が嬉々としてプチエンジェル事件の被害者の少女たちについて語っていたという証言もあるとのこと。
したがって、A氏がプチエンジェルの顧客であったのではないかという疑いは客観的には完全払拭することはできませんね。
まとめ
と、様々な憶測が飛び交っているようですが、実はプチエンジェル事件の真相は…
おっと誰か来たようだ。
<<中森明菜と近藤真彦の金屏風事件・ジャニーズ事務所の闇>>
最後までお読みくださいましてありがとうございました。