血を売るバイト?!『あしたのジョー』のあの人もやっていた?

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弊ブログでは過去に「どんな人にも輸血が出来る貴重すぎる血液」についてご紹介申し上げました。

誰にでも輸血できる血液は同量の金より高価
皆様の血液型は何型でしょうか。 A型の人は几帳面、O型の人はおおざっぱ...などなど血液型占いなんかで利用されることもあるので...

先の記事では血液を売買する話を挙げましたが、現在日本で「血を売り買いする」ということは禁止されております。

しかし実は血液の売買が完全に禁止されたというのは2000年代に入ってからのお話で、昔は生活に困った人が血液を売って日銭を稼いでいたというのです。

今回は昔日本で流行した血を売るバイトについてご紹介いたします。

※一部ウィルスなどによって輸血に適さない血液について触れておりますが、血液が諸事情により輸血に適さないという方を蔑む意図は一切ございません。あらかじめご了承ください。

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『あしたのジョー』の丹下のおっつぁん

「血を売るバイト」について名作ボクシング漫画『あしたのジョー』にて一瞬触れられたことがございます。


「あしたのジョー、の時代」(amazon)

血を売っていたのではないか、と言われているのが主人公「矢吹丈(やぶきジョー)」のボクシングトレーナーである「丹下段平(たんげだんぺい)」

ドヤ街でくすぶっていた元強豪ボクサー

矢吹丈と出会い、トレーナーになった後も、なかなかの破天荒っぷりを見せる丹下のおっつぁん(ほめ言葉です)。

ご存知の方は多いかと存じますが、丹下氏はかつてプロボクサーでした。それも日本タイトルに挑戦するというかなりの強豪だったのです。

しかしタイトルマッチの直前に左目を怪我し、ボクサーとしての選手生命は終わり。引退を余儀なくされてしまいました。


超像革命 ジョー&飛雄馬 あしたのジョー編 丹下段平(amazon) 

左目は今も回復していないのか、眼帯をしておりますね。

ジム経営で多くの負債

丹下氏は引退後、ボクシングジムの経営に失敗し多くの借金を抱えてしまいました。そのときの彼はというと自暴自棄になってドヤ街で日銭を稼ぐという生活。

「ドヤ街」というのは日雇い労働者が多く住む街のことです。「ドヤ」というのは「宿(ヤド)」の逆読みで、日割り制のアパート(木賃宿)が多く立ち並んでいることからこのような表現が用いられていると考えられております。

ジョーに出会う

かなり精神的にも肉体的にも落ちぶれてしまっていた丹下氏はある日、丈の天才的なパンチを目にし、彼を一流のボクサーに育て上げることを決意したのです。

そのためにはジムを再建することが必要。ということで、いままで浴びる程飲んでいたお酒を止め、一日中仕事へ出かけるという忙しい日々に…。

そんな昨日までとは全然違う丹下氏を目にしたドヤ街の子供達は言いました…

「いままでは毎日血を売ったでのんだくれていたくせに」

…え?

「毎日血を売ったお金でのんだくれていた」?

私自身、この回を見たときは例え話の一種かと思いました。しかし当時を考えると、本当に丹下氏が血を売っていたという可能性は十分に考えられるのです。

血液銀行

いまでこそ「血液の売買はやってはいけない」という認識が浸透しておりますが、実は完全に禁止されてから20年も経っておりません

輸血用としての売買も1960年代までは頻繁に行われていたといいます。

血液銀行

1952年、日本赤十字社が血液銀行を設立しました。この血液銀行自体は「血液の無償提供」をお願いしていたのです。今の献血とほとんど同じですね。

しかし以降、民間会社も血液銀行を設立するようになってきました。彼らは「血液を買います」と言って、人から血液を提供してもらう代わりにお金を渡していたのです。

売血は当時は合法でしたので、特に規制することができませんでした。

…無償提供と売却だったら、売却を選ぶ人も多くいらっしゃるでしょう。

そんな事情もあり無償提供はそこまで広まらず、民間血液銀行が大きく幅をきかせる時代が長く続いたといいます。

預血制度

ただ血液銀行が血の買取だけを行っていたかというと、それ以外にも「預血」という制度を運用しておりました。

具体的には「預血者があらかじめ健康な血液を血液銀行に預けておき、必要になったらそれを引き落とすことができる」という、預金の血液バージョンとお考えください。

一見、何も問題なさそうに思えますよね。

ただこの制度が売血禁止の抜け道になってしまったのです。

黄色い血、売血の禁止

預血制度のお話は置いておいて、民間血液銀行の血の買取により、血を売って日銭を稼ぐという低所得者が大勢現われました。このような方々は「ケツバイ」と呼ばれていたといいます。

当時の輸血用血液の多くはこのケツバイと呼ばれる人々からのものであったといわれております。

一方低所得者層の間では「ヒロポン」という覚せい剤が流行しておりました。

当時ヒロポンは規制されておらず、酔い止めなどとして市販されておりました。輸血用血液への重大な問題として申し上げるなら、ヒロポンは注射タイプも広まっており、注射針による肝炎ウィルス感染が蔓延していたのです。

肝炎の症状である黄疸(おうだん)、そして輸血のし過ぎにより赤血球が足りなくなった黄色い血液を揶揄して、ケツバイの血液は「黄色い血液」と呼ばれました。

さらに血液銀行が反社会的勢力の資金源となっていたことも踏まえ、1964年に閣議で輸血用血液は献血だけでまかなうことにするということが決議されました(他にも事情はございます)。

輸血用の売血は1969年に終焉を迎えました。

預血制度の悪用

もともとお金に困っていたケツバイたちが「はい、そうですか」と易々と諦めるかというと、そうではありませんでした。

どうにか売血をできないかと考えた末、先の預血制度を利用することを思いついたのです。

具体的には、預血をした際に渡される「預血証書」というものを売買することにしたのです。

預血が預金のようなものいうならば、預血証書は小切手のようなもの。預血証書を血液銀行に持っていけば、記載された量の血液を入手できたのです。血液が必要になった患者さんの親族や友人がこの預血証書をケツバイなどから買い求めるということは多々あったそうです。

これは預血制度の終了した1974年まで続くことになりました。

輸血用以外の血液の売買

上記は主に輸血用の血液の売買について。確かにウィルスに感染してしまった血液が出回るのは危険です。

しかし、血液は輸血以外でも多々必要とされます。

例えば、薬(血液製剤)の原料となる血液については1964年の規制対象ではありませんでした。

株式会社ミドリ十字の薬害事件

1964年の規制前「日本ブラッドバンク」という民間血液銀行として活動していた「株式会社ミドリ十字」。

このミドリ十字が売血にトドメを刺すような事件を引き起こしました。

1986年4月、大阪医科大学付属病院にて止血するために患者さんに「クリスマシン」という非加熱血液製剤を投与したのですが、その患者さんがHIVに感染・死亡してしまったのです。

当時の代表取締役3名は業務上過失致死罪で禁固刑が科せられ(刑事)、さらに役員9人は連帯で和解金1億円を支払うなどの義務を負いました(民事)

ちなみに株式会社ミドリ十字(旧日本ブラッドバンク)は弊ブログでご紹介した「大日本帝国陸軍第731部隊」の石井隊長の側近である内藤良一氏によって設立されております。その他発起時役員として第731部隊に関わった数人が名を連ねておりました。

<<戦争捕虜で人体実験?日本軍の「731部隊」>>

以上を受け、1990年にミドリ十字は有償での血液採取を廃止。これに伴いリスクマネジメントの観点から有償採血を行っていた日本製薬もこれを廃止しました。

これをもって日本での売血は終焉を迎えました(表の社会では)。

まとめ

時間を売ってはいけない、っていう規制がほしい

<<「医者が来る!」謎の怖い映像はCMなのか?>>

<<人を食べたくなる?「ウェンディゴ症候群」>>

<<『スーパーマリオギャラクシー』のロゴに隠されたメッセージ>>

<<三谷幸喜「赤い洗面器の男」の結末>>

ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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