ジェームズ・ディーンの呪われた愛車

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皆様はジェームズ・ディーンというアメリカの役者さんをご存知でしょうか。

彼は『エデンの東』や『理由なき反抗』に主演した有名なハリウッド・スターだったのですが、惜しくもお亡くなりになってしまいました。

彼は愛車のポルシェで自身の出場予定のカーレース会場に向かっていた際に、他の車と衝突事故を起こしてしまいました。

結果、ジェームズ・ディーンは帰らぬ人に

一方で彼の愛車の多くの部品が再利用されたそうです…

その後、様々な事故が起こり

ジェームズ・ディーンの車の部品には
呪いがかかっている

という噂が流れました。

今回はジェームズ・ディーンの車の呪いについてご紹介したく存じます。

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ジェームズ・ディーンについて

まずは呪いの車についてご紹介する前に、その車の以前の所有者であった名優ジェームズ・ディーン氏をご紹介いたします。

キャリア

ジェームズ・ディーン氏はカリフォルニア大学の演劇科を中退後、1950年代前半はテレビCMなどに出演しメディア進出を果たしました。

彼に転機を与えたのが小説家アンドレ・ジッドの『背徳者』という小説。この小説に心酔したジェームズ氏はハリウッドで映画スターになることを志しました。

『折れた銃剣』、『底抜け艦隊』などいくつかの映画で端役を演じた末、ついに1955年、彼の代表作『エデンの東』で主演のキャル・トラスク役を果たしました。この『エデンの東』で彼はアカデミー賞主演男優賞を受賞。ハリウッドスターの仲間入りを果たしました。

同1955年公開の『理由なき反抗』でも主役、翌1956年公開の『ジャイアンツ』にて準主役を演じ、アカデミー賞にノミネートされるまでに至りましたが、受賞とはいきませんでした。

このキャリアアップの速さは彼のずば抜けた演技力によるものでしょう。現在でも彼のファンは増え続けているのです。

しかし、『ジャイアンツ』の公開前の1955年9月30日に自動車事故で帰らぬ人となってしまいました。

自動車事故

ジェームズ・ディーン氏は大のカーレース好きでした。好きといっても程度が様々ですが、そこはやはりハリウッドスター。

カーレースに出場するほど、カーレースが好きだったのです。

慣らし運転

1955年9月30日も彼はカーレースに出場予定でした。

彼は「ポルシェ・スパイダー550」で出場予定で、そのポルシェはレース会場に直接トレーラーで運ばれるはずだったのです。しかし、そのポルシェはそのレースのために納車された車で、レースに備えるためには慣らし運転が必要でした。

そこで自動車整備士のラルフ・ウッタリック氏を助手席に乗せて、レース会場のサリナスに向かったのです。その後にはジェームズ・ディーンの友人で俳優のビル・ヘックマン氏とカメラマンの車が空のトレーラーを牽引し、走行していました。

Y字路での衝突

そして午後5時59分にコレーム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横から一時停止を無視して飛び出してきた学生の運転する車と衝突してしまったのです。

調度「Y字」のようになっている分岐点で、ジェームズ・ディーン氏の車は直進道路を走行していたので優先されるはずでした。

しかし、事故は起こってしまったのです。

見えないポルシェ

彼のポルシェの車体は非常に低く、ボディもシルバー。そして、西日が輝くハイウェイで学生にはジェームズ・ディーン氏の運転していたポルシェが見えなかったのです。

すさまじい速度の両者の車は側面で衝突してしまいました。

ジェームズ・ディーン氏と同乗していた車の整備士のラルフ氏はポルシェから投げ出され、幸い骨折で済みました。また、衝突してきた車を運転していた学生も軽症。

しかし、ジェームズ・ディーン氏は複雑骨折、内臓損傷によりほぼ即死でした。

事故死の予感

実はジェームズ・ディーン氏は自分が事故に遭うことを予感していたのではないかと言われております。さらに他の仲間も同様に彼のレース出場に不吉な予感を感じていたそうです。

愛猫マーカス

ジェームズ・ディーン氏はマーカスと名づけた猫を大変可愛がっておりました。

撮影所での昼休憩ではマーカスの為にわざわざ自宅に一旦帰ったり、夜中は用がなければマーカスの面倒を見るためにさっさと家に帰ってしまったそうです。

そこまで大切にしていた猫を事故に遭う前日に友人の女性にあげてしまったというのです。

急に頻繁に連絡を取り始める

友人や知人にあまり連絡をとらなかったジェームズ・ディーン氏。

しかし、事故の数週間前から何故か急に友人や知人に連絡を取り始めたというのです。

周囲の反対

詳しくは後述しますが、ジェームズ・ディーン氏の車の専属のカスタマイズ・ビルダーであったジョージ・バリス氏は「ポルシェを見たときに何か嫌な予感がした。だからジェームズにはサリナスへ行くなと言った」とのこと。

さらに名優アレックス・ギネス氏もジェームズ・ディーン氏に忠告しており、他にも多くの知人達が不吉な予感がし、中止するように言っていたといいます。

君の安全運転が救う命は、ひょっとして俺の命かもしれないぜ

実はこの事故の直前に、ジェームズ・ディーン氏は公共広告に使う映像でインタビューを受けているのです。その映像がこちら(YouTube)。

これはワーナーブラザース提供の番組中に放送予定だった映像。

内容はハイウェイでスピードを出すことの危険性を唱えたもので、ディーンは「スピードを出すのは一般道ではなく、レース場で」と訴えております。

「君の安全運転が救う命は、ひょっとして俺の命かもしれないぜ」

・・・放送はされることはありませんでしたが、この発言はさすがに…

ポルシェ550「リトル・バスタード」

ジェームズ・ディーン氏は以前までポルシェ336という車を愛用しておりました。

しかし、彼の趣味であったレース界ではスピードが命。彼はサリナスでのレースに向けて、先のポルシェ550・スパイダーを新調したのです。

このポルシェ550のボンネットには「130」という番号が刻まれ、さらに後部のエンジンフードにはその「130」と共に「Little Bastard」という文字が刻まれました。文字を刻んだのは有名なカー・カスタムビルダーのジョージ・バリス氏。


※ジョージ・バリス氏は初代バットモービルを創った人です!

さらにこの「Little Bastard」というのは、映画『ジャイアンツ』でジェームズ・ディーン氏の台詞指導をしたビル・ヒックマン氏がこのポルシェにつけた名前なのです。

これほど豪華なポルシェ550・スパイダーはなかったのではないでしょうか。

呪われたパーツと消えたボディ

ジェームズ・ディーン氏のポルシェ550・スパイダー「Little Bastard」は事故で以下の画像のように大破してしまいました。

とはいえそのポルシェ550が名機であり、搭載されていたパーツの性能はピカイチ。

そのポルシェの残骸は先のジョージ・バリス氏が買い取り、使えるパーツは取り出され、お金持ちのもとに渡りました。

エンジン

車の原動力といえばエンジン。

Little Bastardのエンジンを入手したのは、ウィリアムスという医師でした。彼も無類のレース好き。

彼は早速自分のレーシングカーにそのエンジンを搭載し、レースに出場しました。

しかしそのレース中、ウィリアムス氏のレーシングカーのタイヤが外れ、コントロール不能に。居合わせた警官が大怪我を負ってしまいました。

トランスミッション

エンジンの動きをタイヤに伝えるパーツ、トランスミッション。ギア(歯車)などですね。やはり車には欠かせないパーツです。

Little Bastardのトランスミッションを入手したのは、トロイという医師でした。やはり彼も無類のレース好き。

彼も自分のレーシングカーにLittle Bastardのトランスミッションを搭載して出場しました。

しかし、レース中、トロイ医師の運転していた車がスピンして木に激突。トロイ医師は帰らぬ人となってしまいました。

ボディ

さすがに使い物にはならないボコボコになってしまったボディ。

しかし、ジェームズ・ディーン氏が事故死してしまった車のボディといったら、人々に与えるショックは大きいはずです。

交通安全キャンペーン

そう考えたバリス氏はカリフォルニア州の警察署が実施する交通安全キャンペーンに展示することに。しかし、ボディーを保管していた警察署のガレージで火災が起き、ガレージは全焼してしまったのです。

次にボディーが展示されたサクラメントの高校では、ボディーの展示台が壊れ、高校生一名が大怪我を負ってしまいました。

輸送中の悲劇

それから数週間後、最終的にボディは再びサリナスへ送られることになったのですが、その輸送中、トラックがスリップして衝突事故を起こしてしまいました。トラックの運転手はその衝撃で外に投げ出されお亡くなりになりました

さらにオークランドでの輸送中、ボディが何故か真っ二つに割れ、その片方がトラックから落ちてしまい、後続の車が事故を起こしてしまいました。

さらにさらに、オレゴンでの輸送中には、輸送していたトラックのブレーキが故障。そのまま店舗に衝突してしまうという事故が起こりました。

バラバラになり消失

1959年暮れ、ようやくニューオリンズに辿り着いた時は、スパイダーのボディは11の破片にまで分解されていて原型がなくなっておりました。それでもバリス氏は十分な時間をかけて修理しようと思っていたそうです。

1960年、マイアミでの展示で、今度は貨物列車で輸送することにしたが、この輸送中、スパイダーの残骸(ボディ)は、忽然と消えてしまったというのです。

バリス氏は私立探偵を雇って捜索しましたが、いまだにその所在は明らかになっていないそうです。

まとめ

実はトランスミッションが日本に渡ったそうです。

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ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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