本エントリーは怖い話を扱っております。ご注意ください。
皆様は東京、池袋にございます「サンシャインシティ」にお行きになられたことはございますでしょうか。
サンシャインシティはホテルやショッピングモール、オフィスなどが入っている大型複合施設なのです。特徴は中核にそびえ立つ超高層ビル「サンシャイン60」。
1978年の竣工当時はアジアで最も高いビルとして君臨しました。
さてそのサンシャイン60の名前について。
地上60階建てだからサンシャイン60と名づけられたとする説が一般的です。
しかし
絞首刑に処された死刑囚の人数が60名
という説もございます。というのも、サンシャイン60は第二次世界大戦後、日本のA級、BC級戦犯たちを収容した監獄「巣鴨プリズン」の跡地に建っているのです。
今回はサンシャイン60について名前の由来に関する都市伝説をご紹介したく存じます。
目次
サンシャイン60
さてまずはサンシャイン60について簡単にご説明いたします。現在はオフィスなどが多く入居しており、物々しい雰囲気ではないことをご承知いただければと存じます。
概要
所在地:東京都豊島区東池袋3-1-1
高さ:239.7メートル(最頂部ベース)
階数:地上60階、塔屋3階、地下4階
竣工:1978年4月6日
オフィスビル
サンシャインシティではショッピングが楽しめたり、遊園地が入っていたりと娯楽も沢山ございますが、サンシャイン60は主に働く人向けの建物になっております。
具体的には9階から58階はすべてオフィステナント。下層も社員用の施設であったり、金融関係の支店が入っているなど比較的真面目な印象です。
ちなみに地下に関しては地下1階には郵便局と展望台行きエレベーターホール。地下2階、地下3階は駐車場。地下4階は関係者以外立入禁止となっております。
60階展望台
とはいえ、サンシャインシティの最上階60階にある展望台には多くのレジャー客が訪れます。最近は独自のアトラクションなども導入し、集客を図っているようです。
確かに竣工からサンシャイン60を超える高さの建物が沢山建ち、高層ビルとしての存在感は薄らいでいるかもしれません。
しかし、やはり眺めはすばらしいもの。お金を払う価値はあるのではないかなと思います。
他にも58階と59階はレストランフロアとなっており、窓際席を予約すれば素晴らしい景色を見ながらお食事をすることができます。
巣鴨プリズン
上記のように新しくて勢いのあるイメージのサンシャイン60。近くにある「東池袋中央公園」を散歩すると『永久平和を願って』と刻まれた慰霊碑が…。
この慰霊碑は第二次世界大戦後、A級戦犯、一部のBC級戦犯の処刑台があった場所に建てられているのです。
実はこの慰霊碑とサンシャイン60は深く関係しているのです。
というのも、サンシャイン60は「巣鴨プリズン」という戦犯たちを拘留する監獄の跡地に建てられたという事実がございます。
第二次世界大戦中
巣鴨プリズンは第二次世界大戦中は当然、日本政府の管轄下にございました。厳密には当時は「巣鴨プリズン」ではなく、「巣鴨監獄」と呼ばれておりました。
そこでは敵国のスパイなどを収監し、時には死刑も執行したこともあったといいます。
有名なところで申し上げますと、当時ソ連のスパイ「リヒャルト・ゾルゲ」を筆頭にして起こった「ゾルゲ事件」で実際にゾルゲ氏の処刑を行ったのも巣鴨プリズンなのです。ちなみに当時の朝日新聞記者の尾崎秀実氏もゾルゲ一味として同所にて処刑されました。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、巣鴨プリズンはGHQの管轄下に入りました。
第二次世界大戦での戦争犯罪容疑者の方々を収容する施設として利用されたのです。A級戦犯や老齢者、病人を除いて、全ての戦犯容疑者は過酷な労働を強いられたそうです。
あらゆる私物の持込が禁止され、会話も看守に盗聴されているなど、かなり厳格な監禁体制がとられておりました(特に最初の2年)。
13号鉄扉
13という数字は特に欧米では古くから忌み嫌われてきた数字。この巣鴨プリズンでも同様でした。
「13号鉄扉(じゅうさんごうてっぴ)」という鉄の扉が処刑場への入り口だったのです。
極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名のA級戦犯たちも、13号鉄扉を通って処刑場に向かいました。
死刑囚の数
サンシャイン60は巣鴨プリズンの跡地に建てられた(処刑場は慰霊碑)ということがわかりました。戦後、この巣鴨プリズンで処刑された方々の数を見ると、サンシャイン60の「60」と結びつくというのです。
絞首刑
13号鉄扉の中の部屋には13段の階段があり、絞首刑という形で処刑されたといいます。
この扉を通って処刑されたA級戦犯は7名、BC級戦犯は53名。つまり
60名なのです。
※ちなみに他にBC級戦犯の判決を受けた1名の方が銃弾により処刑されております。
遺骨
戦犯者のご遺体は深夜から明け方にかけて巣鴨プリズンの裏門を通ってトラックで運び出されました。積荷には「米兵遺体」と記され、アメリカ兵が常に厳戒態勢をとっておりました。
戦犯者の遺体は横浜市の久保山火葬場で極秘に焼かれました。
そして火葬の後で遺骨は全てアメリカ兵が持ち帰りました。
・・・何故そこまでして遺骨を隠したのか…。
戦犯者の遺骨について、マッカーサー元帥の秘密文書より
「絶対に遺族に渡してはならない」
という指示があったのです。
サンシャインの亡霊
処刑された戦犯者の処刑後の扱いもさることながら、処刑にならなかった収容者にも非道な行いが多く行われました。
巣鴨プリズンは普通の刑務所ではなく、上記のように非人道的な刑務所だったのです。
この念のようなものが未だに残っているとでもいうのでしょうか。近代的なサンシャイン60内でも不可解な現象が跡を立たないといいます。
まとめ
ナンジャタウンはリニューアルしないほうがよかった。
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