皆様は広島の「アストラムライン」と呼ばれる鉄道をご存知でしょうか。
多くの住民にめったなことでは止まらない・遅れない路線として愛されております。中国地方では最初に自動改札機を導入した路線としても知られております。
このアストラムラインは現在、広島市中区にある本通駅(広島市の中心)から、エディオンスタジアム広島がある郊外の広域公園前駅までを運行しております。
現在でこそ信頼性の高い路線であるアストラムラインでございますが、実は運行前の建設中の1991年に橋桁が落下してしまったという事故が発生したことがございます。
さて、そのアストラムラインの橋桁落下事故について、不可解な噂がされていたことがあるのですが…
今回はアストラムライン橋桁落下事故の都市伝説をご紹介したく存じます。
目次
アストラムライン
「アストラムライン」とお聞きになられてもピンと来ない方もいらっしゃるかと存じますので、まずはアストラムラインについてご紹介いたします。
概要
正式名称:広島高速交通広島新交通1号線
愛称:アストラムライン
開業:1994年8月20日
所有者:広島高速交通
ゴムタイヤで動く鉄道
鉄道といえば通常、金属の車輪が金属のレールの上を走るイメージがあると思いますが、このアストラムラインはAGTという案内軌条(あんないきじょう)という機構に沿ってゴムタイヤで走行する形式を採用しております。
他にAGTで有名な路線でございますと、東京の「ゆりかもめ」・神奈川の「シーサイドライン」・大阪の「ニュートラム」などが挙げられます。
住宅地からオフィス街への導線
アストラムラインは先述の通り、広島市街の中心と郊外のエディオンスタジアムを結ぶ路線ではございますが、主に住宅地とオフィス街を結ぶ出勤・通学の足として活躍しております。
過去には上記のAGTでは珍しい急行列車も採用し、ラッシュの緩和に努めておりましたが、バスによりラッシュが緩和されたため、現在は通常列車のみとなっております。
アストラムライン橋桁落下事故
1991年3月14日、上記アストラムラインの建設中、橋桁が落下してしまう事故が発生いたしました。
橋桁を据え付け作業中
同日午後2時5分ごろ、広島県広島市安佐南区上安2丁目(現・広島高速交通広島新交通1号線上安駅付近)で、前日仮設置していた鋼鉄製の橋桁を据え付ける作業が行われておりました。
その橋桁の大きさは長さ63m・幅1.7m・厚さ2m。重さは60t。
下を走る道路上に落下
上記橋桁設置作業中、その橋桁が倒れ、半回転しながら10m下の県道に落下してしまいました。
その際、橋桁の上で作業に従事していた5名の作業員が下に投げ出され、お亡くなりになりました。
さらに落下した橋桁が県道下り線の赤信号で停車していた乗用車など11台に直撃し、乗用車に乗車していた10名がお亡くなりになり、8名が重軽傷を負いました。
原因
この橋桁事故は人為的なミスで発生したと判断されました。
仮受台の設置ミス
この事故現場では、複数の仮受台の上にジャッキを置いて、ジャッキでバランスをとりながら仮受台を一つ一つ抜いていくことで、橋桁をゆっくりと降ろす方法を採用しておりました。
この方法はスペースが無い場合にしばしば用いられた方法で、この方法自体に問題はございません。
問題は仮受台の設置ミスでした。
仮受台にはH型鋼と呼ばれるHの形をした鋼鉄が用いられたのですが、本来は橋桁からかかる圧力を逃すべく「H エ H」というように向きを変えて設置する必要があったのです。
しかし一箇所だけ「H H H」と一直線になるように設置してしまいました。この部分にかかる力は対荷重を超え、作業中、崩壊。
全4点で支えておりましたが、重心が片方によってしまったためその内の2点のジャッキも壊れてしまい、結果、橋桁は倒れて県道に落下してしまったのです。
人手不足
当時、広島ではアジア大会に向けて多くの現場で工事が行われており、経験豊富な現場責任者が不足しておりました。
工事の元請、サクラダ株式会社の現場統括責任者は事故当日、現場に出ておりませんでした。さらに代理でその場に来ていた現場代理人・代理人補佐も橋桁設置工事に関する十分な説明を行わず、二次下請けの職員に現場監督をやらせておりました。
さらに三次下請けとして実際に橋桁設置に携わった業者にとって橋桁設置作業は始めての工事でした。作業員は長いブランクがあったとび職の方2名と、数ヶ月前まで眼鏡の加工をしていた方2名。橋桁工事などできるような状況ではなかったのです。
その他、十分な交通規制が行われていなかった・作業計画がなく、作業手順の説明も行われなかった、落下防止策が行われていなかったなど多くの過失がございました。
怖い噂
さて上記のアストラムライン建設中の凄惨な事故。この事故を受けて都市伝説が生まれました。
事故現場、元墓場説
アストラムライン橋桁落下事故が起こったのは「上安駅」付近なのですが…
実はこの事故現場は元々墓場があった場所だったというのです。工事にあたってお墓は別の場所に移されたとのこと。
噂によるとお墓に入っていた人数と、犠牲となった死亡者の人数が一致しているというのです。さらに男女の人数も一致するほか、享年も亡くなった方々とピッタリと合致しているらしいのです。
上記より事故は祟りによるものではないかと近隣の住人からは恐れられたそうです。
ちなみに以下が現場の1980年頃の航空写真。
正直、お墓があるかまではわかりませんね。
不思議な園児
事故が起こった午後2時ごろ、遠足帰りの幼稚園のバスが事故現場を通るはずでした。
しかし1人の園児が
「トイレに行きたい。どうしてもしたい」
と言うのでほんのすこしの間、トイレに寄るためバスを止めることになったそうです(なんとパチンコ屋さんのトイレを借りたそうです)。このトイレ休憩のおかげで、バスは事故に遭わずに済みました。
しかし、トイレに行きたいと言ってバスを止めた幼稚園児を誰一人としてはっきりとは思い出せなかったのです。
なんとか記憶を絞りだしたところ、2人の園児の名前があがりました。
しかし、1人の子はその日風邪で遠足を休んでおり、実際に集合写真にその姿は映っておりませんでした。
さらにもう1人の子は既に転園しており、この子も当然遠足には参加していなかったのです。
まとめ
オリンピックに向けて慎重な工事が行われることを祈っています。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。