神楽坂といえば料亭も多く、政治家がよく遊びに来ているイメージがございます。
ご体験のない方もいらっしゃるかもしれませんが、午前中に車で飯田橋側から早稲田側に行きたいと思った場合、回り道しなければいけません。
なぜならば神楽坂を通り抜けることが出来ないからです。
しかし午後になるとすんなり通ることができます。
逆に午後に車で早稲田側から飯田橋側に行きたいと思ったら、回り道をしなければいけません。
これも神楽坂を通り抜けることが出来ないからです。
すなわち神楽坂は午前中は飯田橋方面への一方通行、午後は早稲田方面への一方通行となっているのです。実はこの逆転式一方通行は日本にはそれほどございません。
何故、こんな面倒そうな方式を採用しているのか…
一説によると、
第64・65代総理大臣
田中角栄
が関わっているというのです。
今回は神楽坂の一方通行にまつわる都市伝説をご紹介したく存じます。
神楽坂の一方通行
神楽坂は先述の通り日本で「逆転式一方通行」を採用している珍しい道路。
私が確認できた他の例で仙台にある宮城県庁舎付近の小道などがございますが、神楽坂の規模と比べると明らかに小さいものでした。
昔は対向車線があった!
一方通行にしては若干広めに感じる神楽坂。実は昔は歩道が狭く、上り車線と下り車線の両方が確保されておりました。
車側にとってはいいのですが、歩行者にとってはこれでは今のように安心して神楽坂を歩くことは出来ません。
そこで自治体による働きかけにより「安心して買い物のできる歩道づくり」が行われ、今のような石畳の歩道ができました。
その結果、2車線確保するには道幅が狭くなってしまい、一方通行にせざるを得なかったのですね。
まず行政は神楽坂を全時間下りの一方通行(早稲田→飯田橋)にしました。
一方通行後の変更
「安心して買い物のできる歩道づくり」と掲げられた神楽坂の改革ですが、その途端事故が起こってしまいました。
一方通行の神楽坂を走行していた車両が神楽坂二丁目にある陶器店「陶柿園」に突撃してしまったのです。
「安心」とは程遠い事故を受け、行政は「下りの一方通行は危険」と判断し、上りの一方通行に変更しました。
一方通行の弊害
さらに上りの一方通行に変更して、神楽坂を一方通行にしたことへの皺寄せが顕在化して来ました。
以前まで神楽坂を利用していた車は当然、別の道を使うことになります。具体的には五差路や大久保通りなのですが、その道が大渋滞を起こしていたのです。
事故により神楽坂の問題が深刻になり、大手新聞社がこの渋滞への批判もついでのようにし始めたのでした。
逆転式一方通行
そこで行政は考えました。時間帯によって一方通行の方向を変えればいいのではないか。
神楽坂の交通量は従来の統計から午前中は下りが、午後は上りが多くなるということがわかっていたので、今のような逆転式一方通行が採用されたそうです。
田中角栄の道説
上記は表向きのお話。
ここからが怪しい都市伝説になってきます。
田中角栄の住居
故田中角栄氏に関してはトピックスが多すぎるので、詳しくご紹介することはこのエントリーでは控えさせていただきます。
本エントリーにおきましては、昔の総理大臣だった人くらいの認識で大丈夫です。
さて田中角栄氏の住居は目白台にございました。今でも敷地の一部にご子息の田中真紀子氏の別荘(実質自宅)がございますね。
それ以外のほとんどの敷地は相続時に物納されてしまっています。
場所的には先に出た早稲田を少し北に進んだあたりです。
国会は永田町
そして議員さんですから、普段は国会議事堂に行くわけです。
国会議事堂があるのは千代田区の永田町ですよね。
そこで田中角栄氏の住まいがあった目白台から永田町への道を考えると、神楽坂が通れない場合、遠回りをしなければならないのです。
大手町などのオフィス街からお堀の外に行ったことのある方ならわかるはず…。
そんなこんなで、タクシー運転手さんの間では神楽坂田中角栄説が囁かれているのです。
まとめ
表があって、裏についてあることないこと楽しむのが陰謀論かな。
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最後までお読みくださいましてありがとうございました。