『水曜どうでしょう』での心霊現象、四国八十八か所巡りにて

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本エントリーは怖い話を扱っております。ご注意ください。

皆様は『水曜どうでしょう』という北海道のローカル番組をご存知でしょうか。

『水曜どうでしょう』は北海道のローカル番組で、さらにレギュラー放送が終了しております。

とはいえ、人気俳優の大泉洋氏が出演しているバラエティ番組として、現在でも北海道のみではなく全国でも高い人気を誇っている伝説の番組なのです。

『水曜どうでしょう』は基本的に出演者が低予算でワイワイ旅をする番組で、心霊とは無縁そうなのですが、そんな番組にも怖い心霊現象があったというのです。

その心霊現象は

四国八十八か所巡りの79番目のお寺

で起こったというのですが、その心霊現象でビデオカメラが壊れてそのお寺での映像が撮れなかったとされておりました。

しかし13年後に改めて語られた真実は異なったのです。

本エントリーでは『水曜どうでしょう』の心霊現象についてご紹介したく存じます。

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水曜どうでしょう

『水曜どうでしょう』についてご存知でない方もいらっしゃるかと存じます。

そこでまず『水曜どうでしょう』についてご紹介いたします。

概要

タイトル:水曜どうでしょう

制作局:北海道テレビ放送(HTB)

時間帯:23:15~23:45(最終形態)

放送期間:1998年4月1日~2002年9月25日

旅・バラエティ番組

レギュラー出演者は鈴井貴之氏と大泉洋氏、ロケ同行ディレクターは藤村忠寿ディレクターと嬉野雅道ディレクターの2名。

※その他に大泉洋氏が所属する劇団「TEAM NACS」のメンバーも時々出演します。

基本的に上記の4人が無謀な旅をし、その模様を放送するという番組です。

初期は主に低予算で国内旅行のみでしたが、後期になると一気に海外へ行くなどしっかりと番組の成長を活かした番組作りをなさっております(藤村Dが行きたいだけかもしれませんが)。

四国八十八か所

実は「四国八十八か所」は『水曜どうでしょう』の名物企画。

通常は10日以上かかる四国八十八か所巡りを、わずか4,5日で完遂してしまおうという弾丸ツアーをテーマにした企画となっております。

罰ゲームとしての位置づけ

『水曜どうでしょう』において「四国八十八か所シリーズ」はある企画に失敗した場合に行う罰ゲームとして実施されました。

その企画とは「試験に出るどうでしょう」という、旅とクイズ企画を合わせたような企画。

過去に3回行われており、各回によってクイズのルールは若干異なるのですが、全ての回において失敗しております。

それゆえ罰ゲームである「四国八十八か所完全巡拝」も計3回行われているのです。

ちなみに最後以外は、大泉洋氏が連帯責任で2人のスタッフと共に四国八十八か所に行くという謎の仕様になっております。

設けられた時間制限

通常の10日も必要とする四国八十八か所巡りをその半分の4,5日で行ってしまおうとするわけですから、当然厳しい時間制限が課されます。

具体的には、

  • 基本的に参拝、納経は行わない。
  • 各霊場の門の前で写真を撮れば巡礼したと看做す。

などのルールを設定しなければ、達成できないレベルのタイトなスケジュール。

さらに、上記のような条件を加えてもロープウェイに乗れず巡礼が不可能になってしまうお寺などがあり、毎回何箇所か巡礼できず終了しております。

※全3回を通して考えると、1度も巡礼したことのない霊場はございません。

四国八十八か所IIの怪奇現象

さてここからが本題。

怪奇現象が起こった回は2000年4月12日から4回にわたって放送された「四国八十八か所II」。つまり2回目の四国八十八か所巡礼の旅です。

前回の3泊4日というあまりにも無謀だったスケジュール設定を踏まえ、この回では4泊5日と期限が延長されました。

大泉洋の体調不調に備え…

1回目の四国八十八か所巡りにて、大泉洋氏は体調を崩してしまいました。

そこでディレクター陣は魔除けの数珠を事前に購入していたのです。しかし4日目、38番・金剛福寺の前後でその魔除けの数珠を紛失してしまったのです。

この数珠の紛失がこの後のビッグな怪現象のはじまりだったのでしょうか。

車のタイヤがパンク

その後、44番・大宝寺から46番・浄瑠璃寺へ向かう際に、時間をなるべく短縮しようと、明らかに危なそうな悪路を車で進むことにしました。

そこそこの悪路でしたので、これは怪奇現象と呼べるかどうか微妙なのですが、車の左後輪が脱輪し、パンクしてしまうというアクシデントが発生。

深夜、79番霊場にて

4日目の深夜に79番霊場の天王寺高照院(てんのうじこうしょういん)に到着。

そして問題の事件が発生しました。

問題の場面の動画

以下はその79番霊場の場面の動画です。

動画内容

動画をご覧になることが出来ない方もいらっしゃるかと存じますので、以下に画像とテキストにてご紹介いたします。

※ところどころ誤植があるかもしれません。

藤村D:ここでこの後我々に起こった出来事を話す前に、まずお断りをしておかなければならない。

今ご覧頂いているのは、79番天王寺高照院でディレクターが撮った写真である。

実は肝心のVTR映像はテープに一切記録されていない。
つまり、撮影したはずの79番天王寺高照院の映像が無いのである。

いや、正確に言えば一部分は確かに残っている。

では一体、ここで何が起きたのか。事実だけを追って説明しよう。

午後10時20分、天王寺高照院に到着した我々は図の地点に車を停め、暗闇の中本堂へと向かい、いつも通り撮影を行った。

このとき、確かに録画状態を示す赤いランプが点灯していることを3人とも確認している。

しかし、嬉野ディレクターが停止ボタンを押す直前、カメラが異常な音を発して勝手に止まってしまったのである。

車に戻り、念のため巻き戻してみると、確かに今撮ったはずの映像が全く無い。そこで改めて車内でカメラテストをしたのである。不思議とその映像はちゃんと残っている。

そこで今度は道路沿いの参門でカメラを再び回し始めた。
しかし、ロケ終了後、テープを確認した我々は愕然とした。ご覧の通りカメラを寺に向けた途端、激しく映像が乱れ、音声もほとんど記録されていなかったのである。
そしてすべての異常現象を体験した直後のギリギリの精神状態で交わされる車内の3人の会話からテープは再び正常に回り始めたのである…
大泉:映ってるね?大丈夫だよね?
嬉野:映ってる。大丈夫。
藤村:さっきのは?
大泉:RECの赤いランプが光ってたのに、僕らが映ってなかったんだよね?
藤村:映ってなかったんだね。これは、だから単なる機械の故障ってことで…いいね?
嬉野:そうそう、いいよ。
藤村:なんも、そんな、あれだね?ないね?
嬉野:ないね。
大泉:で、僕達は今、本堂まで行く必要がないなと、入り口で撮ろうとしたら、バッテリーが今度は切れたけれども…
藤村:そうだね、ライトが消えたね。
嬉野:ライトが点かなかっただけども…
藤村:あれは、バッテリー切れっていう初歩的なミスだね。
嬉野:そうそうそう
大泉:今、そしてこれ、撮れてるの?
嬉野:撮れてるね。大丈夫だね。
大泉:大丈夫でしょうネ?大丈夫だネ?

一同:(笑)

藤村:そりゃ、大泉君、大丈夫じゃなかったらこれ…
大泉:一大事だよ?

一同:(笑)

大泉:ここだけが、映んない。高照院だけが映んないっていったら、大変だよ…
藤村:いいから早く、車出しなさいよ。もう用は無いんだからさ。

車が出発

藤村:やっぱりあるんだね。こういった機械のトラブルってのは。
大泉:あるある
嬉野:点検はしてるんだけども、やっぱあるんだよね。

・・・

藤村:www完ペキ憑いたね?完璧に憑いたね?
大泉:そりゃやっぱり何らかの原因があったんだと思うよ、俺は。いきなりバッテリー、ライトが消えて、カメラが故障っておかしいもん、やっぱ。・・・もう1寺なんだよなぁ(4日目ノルマ)。完ペキ憑いたってことがこのように現象に現われてきているにもかかわらずね…
藤村:(爆笑)
大泉:もう1寺、これで行くの、冒険じゃない?
嬉野:冒険だ。
大泉:これ、もう、形になって現われてると言っていいんだよ?機材がさぁ、おかしくなってるんだもん。
藤村:(爆笑)そうだね、おかしくなったんだもん。

大泉:そしてねぇ、心なしかねぇ、その…なんだろうね?(エアコンから)出てくる空気が、冷たくなってきてるんだよ…これが。
嬉野:冷たくなってきたね。
大泉:25℃に設定してあったんだけどね
嬉野:ちょっと冷えるねぇ
大泉:あったかい空気が出てたんだよ、でしょ?どうして冷たい空気になったわけ?そうでしょ?
嬉野:うん…
大泉:いいね?これ(エアコン)消すってことで。

一同:(爆笑)

大泉:これもう、ピッとね。
藤村:それは、今25℃って言ってるのに、やけに冷たい空気が出てるから…
大泉:出てるからさ、寒いから。温度上げたって彼ねぇ、その、暖かくなるような気配もないから、僕もう消したよ。・・・つけるな、もうこれは。
藤村:いいよwww
大泉:つけると、恐くなるだけだよ(震え声)
藤村:もう、ギューっと足元から来るからwww
大泉:いいね?
藤村:いいよ。僕はもう、いらない!
大泉:藤村君、寒くないね?「寒くない」っていうか、つけたって冷たいのしか出ないから…
藤村:つけたって、寒いからwwwww
大泉:藤村君、80国分寺行くってことでいいな?
藤村:い、いくの?wwwwww
大泉:もしかしたら、行くよ?

一同:(爆笑)

大泉:このようにいろんな機材に影響を及ぼしてだ、ついにはこのかなり近代的な車のね、こんな暖房設備にまで影響を出してきたんだけどもね。いいかな?国分寺…
藤村:いいんじゃないかな?行くって事で。
大泉:僕の回りの皆さんかなり盛り上がってるよ?

一同:(笑)

藤村:いや、本当になんか、冷えるね。
大泉:冷たいでしょ?なんか、出てるの。
嬉野:おかしいな、さっきまで暑かったんだぜ?
大泉:暑かっただろ?
嬉野:熱風来てたんだぜ?
藤村:いいから消しなさいよ。
大泉:うん…消したもう…

・・・

藤村:壊れたね?
大泉:壊れた。
嬉野:壊れた。

一同は一連のトラブルを機械の故障として納得することにしました。

79番天王寺高照院

実は天王寺高照院は曰くつきの場所と言われております。

日本最強の怨霊「崇徳天皇」

皆様は崇徳天皇(すとくてんのう)という人物についてご存知でしょうか。

崇徳天皇は酒呑童子(しゅてんどうじ)、玉藻前(たまものまえ)と共に日本三大悪妖怪の一つとされておりますので、そちらのほうでご存知の方が多いかもしれません。

崇徳天皇は日本の第75代目の天皇です。

以下に崇徳天皇が悪い妖怪になってしまった経緯を記しますが、端的に述べさせていただきますと、

崇徳天皇の黒い噂

崇徳天皇は、平安時代中期、第74代の鳥羽天皇(とばてんのう)の子として生を受けました。しかし、実は白河法皇(しらかわほうおう)と鳥羽天皇の嫁さんとが密通して出来た子という噂があったのです。

つまり、崇徳天皇はおじいちゃんとお母さんとの間にできた子供なのではないかと。

その噂は鳥羽上皇の耳にも届きました。

白河法皇の崩御後

白河法皇の存命中は、崇徳天皇はその地位にい続けることができましたが、白河法皇が亡くなると、その地位を追われることに。

鳥羽上皇は100%自分の子供であろう体仁親王(なりひとしんのう)に天皇の地位を半ば強制的に譲らせたのです。これにより、崇徳天皇は天皇の地位を退位し、体仁親王が第76代の近衛天皇(このえてんのう)になりました。

かくして崇徳天皇は上皇になったのですが、実質的な権限は鳥羽法皇に抑えられ、完全に操り人形。そのような中でも、崇徳上皇は献身的に政治を支え続けました。

近衛天皇の崩御後

しかし近衛天皇は若干17歳でこの世を去ってしまいます。

そこで問題になるのが跡継ぎ問題。誰が天皇になるかです。

実際、崇徳上皇にも子供がおりました。当時の通例ならばこの崇徳上皇の子供が天皇になるはずなのですが、それすらも鳥羽法皇は捻じ曲げました。

鳥羽法皇はなお別の自分の子供を天皇にしてしまったのです。これが第77代の後白河天皇(ごしらかわてんのう)。

鳥羽法皇の崩御後

ついに崇徳上皇の親であり、因縁の相手であった鳥羽法皇がお亡くなりになりました。これにて崇徳上皇は晴れて法皇になるはずでした。

これで権力が戻ってくると思われました。

しかし後白河天皇を始めとする、鳥羽勢力がそれを許さなかったのです。

保元の乱

そして「保元の乱」が勃発。

保元の乱は政治の実権を争う戦いであったのと同時に、鳥羽法皇の子供同士の争い、つまり兄弟喧嘩だったのです。

崇徳上皇は多勢に無勢。敗北して、島流しにされてしまいました。

しかし、これでもなお、崇徳上皇は穏やかに過ごそうと決めたのです。こんな人としてできている彼は何故、怨霊になってしまったのでしょうか。

仏教を学び、写経を送るものの…

流された先の讃岐で、崇徳上皇は仏教を熱心に学びました。そして、保元の乱で多くの犠牲者を出してしまったことに悔いました。

そこで、自らの写経をその犠牲者たちへの供養として京都のお寺に納めて欲しいと送ったのです。

しかし、それを見た後白河天皇は、崇徳上皇の書いた写経など呪われているに決まっていると断言。写経を讃岐に送り返したのです。

ついに崇徳上皇は限界に達してしまいました。

自ら魔王になり、髪も一切切らず、47歳になるまで呪いながら生き続けたそうです。その成りは天狗と見間違えられるほど壮絶だったとか。

そして死後の今もなお、怨霊として強い力を持っているというのです。

天王寺高照院

実は大泉さんたちが心霊現象に見舞われた「天王寺高照院」は、上記の崇徳天皇のゆかりのお寺。

つまり、大泉さんは日本で最も強い怨霊に祟られてしまったと?

後日語られた真実

当時放送された番組では「ビデオカメラの故障」という理由で映像の撮影ができていなかったという説明がなされておりましたが、実は違ったのです。

なんでも、ビデオカメラを回していた嬉野Dが、

あまりにも恐ろしい映像を撮影してしまい、
自ら削除してしまった…

とのこと。

藤村ディレクターのブログ

2000年5月3日に完結した「四国八十八か所巡りII」。

上記の怪奇現象について、特段関係者からのコメントが出されることはございませんでした。恐らく、ほとんどの方が「ビデオカメラの故障だったんだー」と思っていたのではないでしょうか。

しかし、2013年1月29日、その回を収録したDVDの制作していた藤村Dのブログにて意味深なエントリーが…。

ところが、この怪奇現象には、隠された真実がありました。

後日、原付西日本のロケ中に嬉野先生が私に打ち明けました。

嬉野さんはあのとき、「なにも映ってない」と言いましたが、実は「映っていた」のです。映像はちゃんと存在したのです。それを「嬉野さんが消してしまった」のです。

引用:1月29日火曜日。藤村でございます。– 水曜どうでしょうD陣日記アーカイブ

DVDの副音声に

上記に続いて藤村Dは以下のように語っております。

本当のことは、あの日、そこに映っていた映像を実際に見て、それを「消してしまった」という嬉野先生しか知りません。それが今回の副音声の中で、「もう10年以上前のことだからいいだろう」ということで、あの日に見た本当の映像のことを語っております。

これは興味深いですよぉー。

恐がりの人もそうでない人も、お楽しみに!と。

つまりDVDの副音声で嬉野Dが真実を語ってくださっているということですね!

それを聞いたところ…

本当は映像が記録されていたがチェックしたところ、大泉の映っている映像全体が画面の下からセーターの糸がほつれるように消えて行き、目の前で全部消えてしまった

とのこと。

『四国R-14』

上記のエピソードを元に、水曜どうでしょうのメンバーがドラマを制作しております。

『四国R-14』というドラマなのですが、これが怖い。

DVD化してください(懇願)。

まとめ

いやあのね、ニュートラル入れてたのね。そして、それ知らないでセカンド発進だと思ってそれなりにスロットル回したら、動かないからアレッと思ってギアいじったっけ、ロー入っちゃって、もうウィリーさ(だるま屋ウィリー事件)

ボーン

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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