皆様は千葉県の外房にお行きになられたことはございますでしょうか。
鴨川シーワールドがあったり、勝浦の朝市があったりと観光に行かれたことのある方も多いのではないかと存じます。
さてそんな外房には面白い名前で呼ばれている崖がございます。それは
おせんころがし
自分も最初は「おんせんころがし?」と温泉地か何かと勘違いしてしまった記憶がございます。「おんせん」ではなく「おせん」なのです。
実はこの「おせんころがし」の名前の由来として悲しい伝説があるのですが、実は昭和に入ってからも凄惨な事件があり、心霊スポットとしても知られております。
今回は「おせんころがし」の悲しい伝説に加えて、おせんころがし殺人事件についてご紹介いたします。
目次
千葉県おせんころがし
まずは伝説や事件はさておき、「おせんころがし」についてご紹介いたします。
かなりの難所
おせんころがしは高さ20m、幅4kmにも及ぶ外房の断崖絶壁です。現在では下にトンネルが通っており、意識してみると「おせんころがしトンネル」というトンネルがあることがお分かりになるかと存じます。
以前は国道でおせんころがしの上を通るルートがあったのですが、現在では新道が整備され、おせんころがしを通る道は通行禁止になっており、かなり危険な状況です。
実際に国道時代においても外房最大の難所と呼ばれていたくらいです。
行川アイランド駅
崖なので突撃することはおすすめできませんが、実際に行ってみたいという方は、JR外房線の行川(なめがわ)アイランド駅が最寄り駅なのでそこを目印にしてみてはいかがでしょうか。
行川アイランド駅の名所看板にもおせんころがしへの案内がございますので、入り口までは比較的簡単に行くことができます。
おせんころがしは断崖絶壁ということもあってその上からの眺めは絶景らしいです。
とはいえ、高さ20mの断崖絶壁。マンションで言えば6階くらいの高さはあり、足場もかなり悪いですので、危険です。
ちなみに「行川アイランド駅」という駅名、なんだか楽しそうな駅名ではございますが、以前はその名の通り「行川アイランド」という動物園をテーマにしたレジャー施設があり、下車する方もなかなかいる駅だったそうです。
しかし現在は行川アイランドは閉園。現在は跡地になっておりますが、元々弾薬庫などの軍用施設があったこともあり、そちらも心霊スポットとして知られております。
おせんころがし伝説
さてそんな断崖絶壁。なぜ「おせんころがし」と呼ばれるようになったのでしょうか。
それは「おせん」という女性が、転落(「ころがし」)したからなのです。
おせん
昔、おせんという女性がおりました。おせんは土地の豪族、古仙家の娘でした。
おせんの父は金さえあれば何でもできると思い込んでいる強欲な人物であり、村人に対する日々の仕打ちは鬼のようでございました。
父を説得
娘のおせんは父の極悪非道ぶりを嘆き、また、これを止められるのは自分しかいないと決意。村人と一緒に父の説得に向かいましたが、父はこの説得を受け入れようとはしませんでした。
命で説得
悲観したおせんは、崖から身を投げて父に改心を求めたのです。
こうしておせんの身を投げた崖は「おせんころがし」と呼ばれるようになりました。
実際に行川アイランド側からおせんころがしに向かうと、おせんさんのお墓にお参りすることができるようになっております。
おせんころがし殺人事件
おせんさんがお亡くなりになったのははるか昔の話。しかし昭和になってかなり凄惨な事件が発生したのです。
母子4名を突き落とす
1951年10月10日、母と子供3人が、行商に出たまま行方不明になった夫を探すために千葉県勝浦駅に訪れました。
そこで栗田源蔵という男がその母子4名を誘い出し、翌日深夜長男と長女を「おせんころがし」にて投げ落とした挙句、主婦に性的暴行。その後、主婦が背中に背負っていた次女ごと投げ落としたのです。
被害者達は完全に転落することなく崖の途中にひっかかり、一旦は助かったと思われたのですが、犯人の栗田はそんな被害者達を石で殴打し殺害しました。長女だけは軽傷で隠れていたため奇跡的に生き延びる事ができたとのことです。
栗田源蔵の余罪
さてこの「おせんころがし殺人事件」の犯人の栗田源蔵。彼はこの犯行以外にも残虐な行為を行っており、結果1952年8月13日に死刑判決が下されました。具体的には以下のような犯行が確認されております。
三角関係のもつれ
栗田源蔵は終戦後は北海道の美唄炭鉱で炭鉱夫となって荒くれ男たちと過酷な肉体労働の日々を過ごしました。それまでひ弱で内向的だった栗田は周囲の男たちと同様の粗暴な荒くれ男となっていたのです。
そして、1948年、ヤミ商売のブローカーとして生計を立てていた栗田は、三角関係のもつれから静岡県において交際女性を2人とも殺害しました。
遺体に暴行
1951年8月8日、栃木県で子供を寝かしつけようとしていた主婦を絞殺した揚句、その遺体に性的暴行を加えました。
さらに「おせんころがし事件」の後、1952年1月13日、千葉県検見川町(現在の千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺されました。この犯行で残した指紋が犯人特定に繋がったとされております。
栗田源蔵の悪夢
おせんころがしが心霊スポットとして広まったのはこの事件からなのではないか、と言われております。
栗田源蔵が拘留中に「おせんころがしで殺した女性が、子供を連れて泣いている夢を見る」と告白したこともあるとされております。
凶悪犯は何故、おせんころがしの夢だけを見るのでしょうか。
まとめ
「おせんころがし」の近くまで行ったことはございますが、特におかしなことはなかったので、凄惨な事件現場となった場所というだけで心霊スポットではないのかもしれません。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。