「巌頭之感」華厳滝に記された呪いの遺言

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本エントリーは怖い話を扱っております。ご注意ください。

皆様は栃木県の日光にある「華厳滝(けごんのたき)」にお行きになられたことはございますでしょうか。

「華厳滝」は滝が沢山ある日光市でも、最も有名な滝だと存じます。

さて、その華厳滝にも実は怖い都市伝説がございます。

なんでも、

華厳滝では藤村 操(ふじむら みさお)という方が投身しており、彼の遺言『巌頭之感(がんとうのかん)』が華厳滝の傍らの木に刻まれているというのです。

さらに怖いことに、

その遺言を読むと、死んでしまいたくなる

というのです。

今回は華厳滝から藤村操氏の『巌頭之感』をご紹介したく存じます。

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華厳滝(けごんのたき)

まずは『巌頭之感』が刻まれ、藤村操氏がお亡くなりになった場所である「華厳滝」をご紹介いたします。

奥日光三大名瀑

先述の通り、日光には滝が多く、四十八滝あるといわれております。さらにその中でも最も見た目が荘厳だといわれている3つの滝は「奥日光三大名瀑(おくにっこうさんだいめいばく)」と呼ばれております。

竜頭の滝(りゅうずのたき)

竜頭の滝は全長210mの二手に分かれて落ちる滝です。その滝の流れを竜に見立ててつけたのが名前の由来といわれています。

下流にはお食事も食べれるような観瀑台があり、快適にその荘厳な滝の流れを見ることができます。

湯滝(ゆたき)

岩肌を末広がりに滑るように落ちる滝です。

滝の近くには階段があり、滝の真横や、滝上、滝つぼ等様々な角度から滝を楽しむことができます。

華厳滝(けごんのたき)

さて、最後は本題の「華厳滝」。

華厳滝は奥日光三大名瀑の中でも最も勢いのある滝です。落差約97メートルの断崖を水が一気に流れ落ちる様は迫力満点です。

ちなみに華厳滝のみ若干行きづらい場所になっており、見に行くにはエレベーター(有料)を利用する必要がございます。

大谷川に注ぎ込まれる水

中禅寺湖からやってきた華厳滝の水は大谷川に流れております。

実は中禅寺湖から流れる水流は複数あるのですが、地表から確認できるのは華厳滝のみなのです。

しかし実は中禅寺湖や華厳の滝がある大谷川の上流は、厳密には大谷川ではなく大尻川と呼ばれております。

大尻川を大谷川とは別の川とすると、大尻皮はかなり短い川ということになりますね。

藤村 操(ふじむら みさお)について

上記華厳滝の傍らの木に呪いの遺言『巌頭之感』を刻んだとされる「藤村 操(ふじむら みさお)」氏とは一体どのような人物であったのでしょうか。

エリート学生

藤村操氏は「第一高等学校」の学生さんでございました。

第一高等学校とお聞きになられてピンとこない方もいらっしゃると存じます。

第一高等学校とは現在の東京大学教養学部・千葉大学医学部・千葉大学薬学部の前身である学校で、高等学校とはいえども、旧制高等学校なのです。

つまり藤村操氏は『巌頭之感』を刻んだとき、つまりお亡くなりになられた当時、エリート学生だったのです。

銀行頭取の長男

藤村操氏の祖父は盛岡藩の藩士。盛岡とは現在の岩手県の中部から青森県の東側に相当する藩です。

そして藤村操氏の父「藤村 胖(ふじむら ゆたか)」氏は、明治維新後、本州から北海道に渡り、事業家として成功を収めます。

そして、藤村胖氏は屯田銀行の頭取に。屯田銀行は現在の北海道銀行の前身の一つです。

1886年に彼の長男として藤村操氏が誕生したのでした。

つまり、藤村操氏は金銭的にもキャリア的にも不自由のない生活ができていたわけです。

しかし自らこの世に別れを…

上記のような一見順風満帆な人生を送っていた藤村操氏。

しかし、1903年の5月21日に制服姿のまま失踪。

その翌日の5月22日に上記でご紹介した華厳滝で投身自サツをしてしまったのです。

ちなみに藤村操氏の墓所は東京都港区の青山霊園にあるとのこと。

巌頭之感(がんとうのかん)

いよいよ呪いの遺言『巌頭之感』のご紹介に入りたいと思います。

藤村操氏がお亡くなりになる直前に、彼は華厳滝の傍らにあったミズナラの木の表面に遺言というべきか、辞世の句というべきか、非常に文学的な文章を刻み残したのです。

巌頭之感原文

以下が巌頭之感の原文です。

巌頭之感

悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に
何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、
曰く「不可解」。

我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

現代語に訳すと…

『巌頭之感』、原文を読んでもいまいち理解ができませんよね。

『巌頭之感』が刻まれたのが1903年。つまり明治時代です。現在よりも文語調の記述が多かった時代であることは間違いございません。

そこで現代語と申しましょうか、口語と申しましょうか、僭越ながら私達に親しみのある言葉に訳したく存じます。

空と大地はなんて雄大なのだろう。
現在と過去はなんて離れているのだろう。
5尺の小さな体でその大きさを測ろう。
ホレーショの哲学なんて権威でも何でもない。
万物の真理を説明できる言葉はただ一言、
「不可解」。

私はこの恨みを胸に持って思い苦しみ、ついに死ぬ事を決断した。

すでにこうして岩の上に立つまでになっても、
私の胸の中には何の不安もない。
初めて知ったのだ、
大きな悲観は大きな楽観と同じだと。

「ホレーショ」って何?

『巌頭之感』の中に出てきた「ホレーショの哲學」。「ホレーショ」とは一体何なのでしょうか。

実はホレーショは実在の人物ではなく、ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』に登場する人物なのではないかと言われております。

ハムレット (岩波文庫)

さらに、ホレーショは『ハムレット』でもそれほどメイン役ではなく脇役なのです。

『巌頭之感』のホレーショが『ハムレット』のホレーショを指すといわれている由縁になっているのが、以下の一節です。

“There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamed of in your philosophy

引用:ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』第1幕、第5場

つまり、

「ホレーショ、天と地の間にはもっとたくさんの物があるんだよ。哲学で夢想するよりもね。」

という一節でホレーショが哲学に偏向することを真っ向から批判されるのです。

「your philosophy」の部分の訳については、「ホレーショの哲学」ではなく「君達の哲学」と訳すので、つまりは哲学全般。

これを踏まえると、『巌頭之感』に登場する「ホレーショの哲學」は当時の哲学全般を指すと個人的には思います。

つまり、哲学を用いても森羅万象を説明することはできないんだと述べているのではないでしょうか。

『巌頭之感』の影響

『巌頭之感』は社会的な影響を与えてしまいました。

『巌頭之感』の例をいくつかご紹介します。

華厳滝に多くの自サツ者

順風満帆なエリート学生の自サツ。さらに『巌頭之感』という衝撃的な辞世の句。

この話題は当時のマスコミに大きく取り上げられ、多くの若者達も知ることとなりました。

するとその中から藤村操氏に共感する者が続出。ついには藤村操氏と同じように華厳滝で投身自サツをする人が大勢出てしまったそうです。

当時の政府は当然、その状況を重く考え、『巌頭之感』が刻まれたミズナラの木を伐採するにいたりました。

夏目漱石が精神衰弱

『吾輩は猫である』『三四郎』などで有名な純文学作家、夏目漱石氏。旧千円札の肖像画にもなるなど、大変著名な方です。

実は夏目漱石氏は藤村操氏の通っていた第一高等学校にて教鞭をとっており、さらに藤村操氏のクラスの英語教師を担当していたのです。

もっと申し上げると、藤村操氏の失踪直前に、夏目漱石氏は藤村操氏の英文学観を真っ向から批判してしまっていたのです。

上記の出来事により、夏目漱石氏は精神を病んでしまったのではないかといわれております。

実は『吾輩は猫である』にて、華厳滝から飛び込むという記載もございます。

お土産になっている

上記のように既に撤去されてしまった『巌頭之感』ですが、その写しがおみやげとして観光地に販売されているそうです。

すさまじい!!

まとめ

『巌頭之感』。呪いではなくて、哲学的なものだったのですね。

ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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