地底湖で起こった大学生行方不明事件の闇が深くて怖い

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皆様は探検はお好きでしょうか?

探検における大切な要素のひとつとして「仲間との協力」が挙げられると存じます。熟練の仲間が集まれば、冒険の危険は一気に減ります。

・・・彼らが信頼できる仲間ならば…

今回ご紹介する事件は、実際に日本で起きた事件でございます。

なんでも、仲間同士で洞窟に探検に入ったそうなのですが、

1人が地底湖で溺れてしまい、行方不明になってしまったのです。

今回はこの事件について語られる都市伝説についてご紹介します。

なお、この都市伝説はあくまで世間で語られている噂であり、事件の真相とは異なる可能性が十分にあることをご了承ください。

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岡山地底湖行方不明事件

その事件は2008年1月5日に起こりました。高知大学の洞窟探検サークルの男子学生1名が、洞窟内最深部の地底湖で溺れ、行方不明になったのです。

事件概要

以下は当時の朝日新聞デジタルの記事からの引用です。

5日午後6時15分ごろ、岡山県新見市豊永赤馬の洞穴「日咩坂(ひめさか)鍾乳穴(かなちあな)」(奥行き約1600メートル)の奥にある地底湖(深さ約32メートル)で遊泳していた高知大学3年生の男子学生(21)が行方不明になった、と一緒に洞穴を訪れていた仲間から110番通報があった。

県警新見署員ら約30人が捜索を続けたが、学生は見つかっていないという。同署や新見市消防本部などの調べでは、学生は大学の洞窟(どうくつ)探検サークルに入っており、学生や社会人など近県から集まった計13人で新見市を訪れていた。不明の男子学生は、計5人で午前11時半ごろから洞穴に入り、午後2時半ごろ、着衣のまま遊泳している最中、行方がわからなくなったという。

新見市教育委員会によると、この洞穴は県の天然記念物に指定されており、洞穴に入るには同市教委への届け出が必要なのに、学生らは届け出ていなかったという。

日咩坂鍾乳穴

現場となったのは、岡山県新見市豊永赤馬の洞穴「日咩坂鍾乳穴」。これで「ひめさかかちあな」と読みます。この洞穴から少し北上すると洞穴を御神体としている「日咩坂鍾乳穴神社」という神社があり、その洞穴が村の人々にとって神聖な地とされていることも伺えます。

概要

ちなみに洞穴の入り口には

岡山県指定天然記念物 昭和32年11月5日指定

秘坂鍾乳穴(日咩坂鍾乳穴)

県下でも屈指の巨大な洞口と1,600mの長さを誇る裂か型の吸い込み穴。深さ100m近いドリーネの急坂を下りていくと、高さ15m・幅7mの巨大な洞口がひんやりと冷気を漂わせている。
従来の奥行きは700mの神の池までとされていたが、調査の結果1,600mにも達する巨大なものであることが判明した。最終地点は水深32mの地下の巨大な湖であった。この湖の水は豊永佐伏(とよながさぶし)の住民の生活の源泉である「湧きあがり」に流出している。
鍾乳洞の歴史は古く、神の住むところとしてあがめられてきた。この鍾乳洞をご神体とした日咩坂鍾乳穴神社は「延喜式」にも記された古い神社で、記録によると洞内から石鍾乳(いしのちち)という薬種を産出したという。

入洞する前には必ず
入洞届を提出してください。

新見市教育委員会
住所

という看板が。

ちなみに現在もこの看板は設置されているようです。新見市では新見市内の鍾乳洞に入る際に入洞届の提出を義務づけております。

しかしながら、日咩坂鍾乳穴についてのみ現在では

 下記の鍾乳洞については、入洞中の事故が多発しており、安全確保のため、当分の間、入洞を禁止します。
 ご理解とご協力をお願いします。

 ・日咩坂鐘乳穴(豊永赤馬)

引用:新見市内の鍾乳洞の入洞について|新見市

2010年に入洞したという情報もあるので、いつ入洞が禁止されたのかどうかは不明です。

最深部の地底湖

以下の地図をご覧いただけますでしょうか?

日咩坂鍾乳穴は、このように「く」の字に曲がっている細長い洞穴です。先の入り口の看板で語られていた「神の池」がちょうどその曲がり角。入り口から神の池までの距離は700m。

さらに事件現場となった地底湖はそこから900m先にございます。

全長1,600mと聞くと、捜索部隊が何故そこまで手こずったのだろうかと感じる方もいらっしゃるかと存じますが、この洞穴の本領は長さもさることながら、その狭さと起伏。片道3時間はかかったと言われております。

例えば、洞穴に入っておよそ200mもしない場所にある「星穴」と呼ばれる穴。
狭すぎますよね。一人が頑張ってようやく通れる穴です。これがまだ序の口というのですから驚きです。さらに神の池の水位は雨量などに大きく左右され、最深部に行ける状態の日は限られているのです。

また最難関と思われるのが、最深部の地底湖の直前にある急な坂。鍾乳洞特有の湿り気を帯びており、素人が降りるのは困難だと言われております。具体的な画像としては、


引用:ケイビング
こんな感じ。最深部に向かうのは困難。ちなみに参照元のブログを運営なさっている方は最深部の地底湖に到達したらしく画像をアップなさっております。


この画像を拝見するまで思いもしなかったのですが、光源はヘッドライトのようなものを装着していない限りないようですね。

ちなみにマスコミではこの構造を略図で紹介しておりました。こういう都市伝説系のサイトではおなじみの画像かもしれません。

この図によると、足場から5m下に水面があるかのような気がします。

事件の要点

上記の情報を含む他のソースからこの事件の要点をまとめてみます(個人名は伏す)。

  • 2008年1月5日午前11:00頃、入洞したのは高知大学の洞窟探検サークルの5名。
  • 行方不明となったのは5名の内の1名の男子学生。
  • 同日午後2:30頃、男子学生は1人で地底湖に入り、遊泳。
  • 遊泳している最中に行方不明に。
  • 同行の仲間の1人から2008年1月5日午後6:15頃、110番通報。
  • 当日県警等が徹夜で捜索活動を行ったものの、男子学生は見つからなかった。

闇が深いと言われる由縁

洞窟探検には当然危険は伴いますし、このように入り組み、何度も水を潜ったりする等をして進まなければいけない洞窟ならば、行方不明者が出てもおかしくありません。

ではなぜこの事件が闇が深いといわれているのでしょうか。

入洞届の提出を怠っていた

当時、高知大学の洞窟探検サークルが入洞した際に、彼らは新見市に対して入洞届を提出する必要がございました。この入洞届により新見市は安全管理を行っており、万が一、グループの全員が行方不明になってしまった場合、特定の洞窟に入ったという証左になるわけです。

しかし、彼らは入洞届の提出を怠っております。入洞届というものは特別珍しいものではなく、例えば富士山の風穴などに入る際にも提出が求められるものですから、洞窟探検サークルの方々がその必要性を知らなかったということは考えづらいです。

単に「慣れていて面倒くさかったから」という理由が最も自然かもしれませんが、行方不明事件が起こってしまった以上、その懈怠を責められても仕方がありません。

他の部員達の行動

もし目の前で誰かが地底湖で溺れていた場合を想像してみて以下をご覧ください。

誰もその場に残らず、ロープなども撤去した

上記の事故発生後、他の部員達は皆洞窟から脱出を図りました。その道中、ワイヤーなども撤去したそうです。

ちなみに帰り道には少なくとも3箇所は必ずワイヤーを使わなければ突破できない断崖がございます。ワイヤーを取り払ってしまうことはすなわち溺れた男子生徒の帰り道を断つことを意味するのです。

さらに仮に救助隊を要請するにしても、5名もその場に居合わせていたのですから、誰かが現場に残っているべきであったとも思えます。

彼らの行動はパニックで落ち着いた判断ができなかった結果によるものなのかもしれませんが、実際には犠牲者の男子生徒を見捨てたと思われても致し方ない行動をとってしまっていたのです。

地底湖の奥の壁にタッチさせた

この探検サークルにて日咩坂鍾乳穴にはしばしば訪れていたそうなのですが、その際の恒例行事として地底湖の奥まで行って壁にタッチさせるというものがあったそうです。

事実、当日も溺れた男子生徒を単身地底湖で遊泳させ、その行事をしたそうです。

その証言として

「タッチ」という声は聞こえた

というものがございます。

しかしここで気になるのが、そのような声が聞こえたのにもかかわらず、「助けて」などの助けを求める声は聞こえなかったというのでしょうか。

隊長の逃亡

このような遭難事故で探検隊長が残っていた場合、探検隊長が記者会見に出るのが通例なのですが、何故かこの事故の探検隊長の学生は逃亡したのです。

仲間が行方不明、もしくは亡くなってしまったかもしれないのに隊長は逃げ回って記者会見をしなかったのです。

学生ですので社会通念が多少通用しないのは仕方がございませんが、何故逃げ回ってしまったのかが気になるところです。

探検部のページの異変

事故発覚後、高知大学探検サークルに謎の更新がございました。

更新前には「部長 ○○××」「副部長 □□△△」と部長と副部長の氏名が明記されていたのですが、更新後、何故かこの記載が削除されました。

これは彼らのキャリアへの影響を考慮した結果なのでしょうか。

行方不明者のmixiに異変

事故後、にちゃんねる等の有志により行方不明になった男子学生のmixiアカウントが明らかになりました。

しかし、その後、何者かがそのアカウントにログインをし、名前や日記など高知大学探検サークルに繋がる情報の一切を非公開にしてしまったのです。

不正ログイン前

以下が不正ログイン前のスクリーンショットです(一部編集)。

細かい日記内容についてのスクリーンショットを見つけることはできませんでしたが、探検サークルの一部不適切な活動について書かれていたそうです。

不正ログイン後

具体的な変更点としては、

  • ユーザー名:クラ→ホワイト
  • マイミク:「はく」という人物が外されている。
  • プロフィール:名前・性別・現住所・年齢・誕生日・職業・所属の欄が非公開になる。
  • 日記:すべてが非公開になる。
  • コミュニティ:「中四ケイバー連合」というコミュニティを退会。

日記のスクショ

穴祭り

3/2~5まで、高知で洞窟合宿を開いた。
この合宿は例年いくつかの大学で持ち回りで行っていて、西日本の各大学の探検部、山岳部等が集まるでかい大会だ。今回も最大時で約80名の人々が高知に集まった。

80人・・・賑やか過ぎる。めちゃくちゃ楽しい。

先発、後発、遅れて参加、飛び入り参加などで徐々に人が集まって、いつもの顔、久々の顔、初めての顔、たくさんの面子が揃った。これだけの人数が集まると自然発生的に宴が始まる。皆、「本番は4日目の晩だから」とか言いつつワサワサ呑む。そして酔う。俺も再会の喜びやケイビングの余韻と、あとなんだかんだで毎晩呑んでいた。
前回の山口では「脱ぐ男」が多かったが、今回はさらに酷い。「脱がす女」の出現により、数人の獲物(♂)が剥かれ、縛られ、引き回され・・・いや~面白かった。見る分には。

そして物を投げる人々は大体いつもと同じくらいの比率だった。酒が翔び、文旦が飛び、寿司が跳んだ。それぞれは撒けられ、潰れ、爆砕した。・・・人の顔で。ケイバーが集まるといつも見られる風景だった。

にもかかわらず、今回は全体的におとなしい呑みだったなぁ。寝ゲ○も廊下○ロもなかったし、ましたや急性アル中なんてのもなかった。(慢性は・・・?)きっと机の効果が大きかったのだろう。

・・・なんだか酒の事しか書いてないなぁ。まぁいいか。

次はいつみんなに会えるだろうか。楽しみだ。

楽しそうなサークル生活について綴られておりますね。

「はく」のmixi更新

先ほどの外されたマイミクの「はく」という人物。彼も怪しい動きをしていました。

更新前

こちらも日記が公開されていたようですね。

更新後

変更点としては

  • ユーザー名:はく→うすた
  • 紹介文が削除される(すべて削除されている・投稿者したユーザーが削除するのは煩雑な手続が必要なため、「はく」氏が消したと考えられる)。
  • 上記「クラ」氏のアカウントをマイミクから一時的に外すも、後に入れなおす。マイミクに入れるには申請と共に、承認が必要なためかなり怪しい。
  • 趣味から「お酒・アウトドア」が削除された。

と、この「はく」氏はかなり事情を知っている人物なのかもしれません。

まとめ

「李下に冠を正さず」という言葉が思い浮かぶ。

ボーン

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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