本エントリーは怖い話を扱っております。ご注意ください。
皆様は稲川淳二氏の怪談、お好きですか?
私は学生時代に稲川淳二の怪談ナイト(稲川淳二氏の怪談ライブ)に行った事もございます。毎年お行きになられている方も多いようです。
稲川淳二氏は始めはリアクション系芸能人として活躍なさっていたのですが、現在は怪談一本で活動なさっているタレントさんです。
そんな稲川淳二氏の怪談はどれも傑作。怖い話だらけなのですが、そんな稲川淳二氏の怪談の中でも群を抜いて怖いとされているのが、
生き人形
という怪談。
今回は稲川淳二氏の『生き人形』をご紹介させていただきたく存じます。
生き人形
『生き人形』は稲川淳二氏が怪談の語り部としての地位を決定付けることとなったエピソードです。
『生き人形』にまつわる様々な怪異が発生し、度々後日談が語られております。ときにはテレビの生放送までも怪異に巻き込まれたこともあるとか。
実は『生き人形』は度々後日談が語られ、未だ収束していない怖い話なのです。
以下が『生き人形』の内容です。
1976年『南こうせつのオールナイトニッポン』にて
『生き人形』の話は『南こうせつのオールナイトニッポン』の話から始まります。
稲川淳二氏が『南こうせつのオールナイトニッポン』に出演したところ、あるカセットテープが投稿されてきました。
そのカセットテープには南こうせつ氏のバンドグループ「かぐや姫」の解散コンサートの音声が収められていたのですが、謎の声が入っていたのです。
「私にも聞かせて」
その声の主は、不治の病で亡くなった、かぐや姫の大ファンの女性のものだと思われました。これを聞いた南こうせつ氏は号泣。
番組は重苦しい雰囲気に包まれました。
ちなみにこのかぐや姫解散コンサートの「私にも聞かせて」の怖い話は以下のエントリーに別途まとめてございますので、よろしければそちらもご覧ください。
<<かぐや姫の解散コンサートに心霊の声?「私にも聞かせて」>>
※本ページ下にもリンクは貼ってございます。
ニッポン放送からの帰り道
『南こうせつのオールナイトニッポン』収録後、稲川氏はディレクターの東氏の車で送ってもらうことに。
稲川氏は国立、東氏は小平。2人の自宅は同じ方向にありました。なによりも、先の収録で後味が悪く、東氏も1人で帰る気になれなかったのでしょう。
高速道路上に、後にも先にも車は走っておりませんでした。
車の窓を開けながら、先の収録の空気をごまかそうと、ディレクターの東氏が他愛もない話を語りかけてきました。東氏のその話をふんふんと聞き流しながら、外を見ていると、丸い道路標識のようなものの影が過ぎていくのを見たそうです。
高速道路に道路標識なんて珍しいな、などと思っていると、再び同じような影が通り過ぎるのを見たそうです。
同乗者の東氏は相変わらず他愛もない話に夢中で気づく気配はありません。
高速道路に道路標識、それも2回も…と不思議に思った稲川氏は3回目があるかもしれないと思い、その標識がこの先にもないか探してみたそうです。
やはり先にその影があったのですが、稲川氏が思っていたものと形が若干違いました。
『生き人形』の前兆
高速道路の縁に見えた影の形、当時明かりも少ない高速道路でしたが、その形からその影の持ち主がどのようなものであったのかわかったそうです。
着物を着た女性だと。
錯覚かもしれないと思い、稲川氏はその影を見続けました。次第にその影と距離が近づき、ついにはっきりと「黒い着物を着た黒い髪の女」ということまでわかってしまいました。
その方向に向かって走る車の中、何となくその着物の女の眺めていると、いつのまにか着物が消えてしまい、顔だけしか見えなくなってしまったそうです。
そしてその女の顔はこちらを向くように少しずつ動いていたのです。
ついにその顔の所を通るというとき、女は半透明で、おかっぱ頭、細い目につぐんだ口、無表情であることがわかりました。
そのままその顔はフロントガラスを突き抜けるや否や、謎の光源に変わり、運転席と助手席の2人の間を過ぎ去って行ったそうです。
とはいえ、運転していた東氏にはこの異変が見えていない様子。こんなことを話して、東氏を1人帰路にいかせるわけにはいかないと思った稲川氏は黙っていることにしました。
連れと帰宅?
国立の実家に着いた車から降りた稲川氏はどこか肩が重い。
深夜番組の帰りともあって、家に着いたのは早朝でした。疲労でそのままソファに寝そべった稲川氏。しかしどうも寝る気にはなりませんでした。
しばらくすると、2階から何者かの足音が…。誰か起きているのかと思った稲川氏が2階に上がると稲川氏の奥さんが起きていたのです。
稲川氏の顔を見るや否や
奥さん「お友達はどうしたの?」
…お友達?東氏なら車で既に帰ったはずです。
稲川氏「いないよ、そんなやつ」
と稲川氏が答えると、
奥さん「嘘ぉ?後から入ってきて、部屋の中グルグルグルグル回ったのは誰よ?」
と更に謎の質問。
あーだこーだ話しているうちに、日が昇ってしまいました。
ディレクターの告白
次の日、
東氏から電話がありました。
東氏「淳二さぁ、昨日言うのが悪くて言えなかったんだけどさぁ… 誰かと降りたろ。」
東氏からの突飛な質問に戸惑った稲川氏。
稲川氏「何それ?」
と聞いてみました。しかし、東氏は
東氏「いや、俺わかってんだよ。誰かと降りたろ。」
と言うのみで、稲川氏はその話を詳しく聞くためにニッポン放送の放送局に向かいました。
曰く、
東氏「俺見えなかったけど、気配があって、俺達の間に何かいた気がしたんだ。それで、淳二が降りたら、そいつも降りたんだよ。」
この話と昨日稲川氏が高速道路で見たものと関係ないはずがありません。稲川氏も東氏にそのことを話しました。
一通り話を終えて、稲川氏は自宅に帰りました。
人形遣い前野氏からのオファー
稲川氏が自宅に着くと、一本の電話が入りました。相手は人形遣いの前野博氏。
前野氏「いやぁ、久々だねー。今度舞台をやるんだけども、稲川ちゃん、座長として出てくれない?」
人形と一緒にするお芝居『呪 夢千年』の座長をつとめてくれないかというオファーだったのです。
前野氏の人形舞台は大変評判がよく、声優さん・俳優さん・芸人さんなど幅広い芸能人たちが出演する舞台でした。
稲川氏「おう、いいよ。」
ふたつ返事でOKをした稲川氏。
この前野氏とのやりとりが、『生き人形』のはじまりとも言えます。
生き人形の顔
数日後、稲川氏はその人形舞台の顔合わせに出席しました。
ただ人形芝居なのですが、肝心の人形はまだ出来上がっておりませんでした。そこで前野氏は完成予定の人形のスケッチを見せてくれたそうです。
125cmくらい、つまり人間の子供くらいの大きさがあるその人形。
3人で操作するようになっており、おかっぱ頭… 驚いたことにあの日高速道路で見た女と同じ顔をしていたそうです。
ただここで稲川氏が余計なことを言ってしまえば、仕事に関わりますので、変な疑問はひとまず忘れることに。
生き人形の造形師
時は経ち、ついに人形が稽古場にやってきました。
しかし、前野氏が急に変なことを言い出します。
前野氏「でも稲川ちゃん、この人形おかしいんだよね。右手と右足が捻じれるんだよ。」
普段は四肢がぶらーんとぶら下がっているはずのあやつり人形。その状態で右手と右足が捻じれてしまうというのは考えづらいことでした。
稲川氏は工作にも長けており、修理できると思いました。
稲川氏「前野さん、それ直しましょうか?」
それに対して、
前野氏「いや、やっぱり作った人に直してもらうのが一番でしょ。」
と答え、人形を作った人に連絡を取ったそうです。
しかし、前野氏が連絡を取ってみると、その人形を作った造形作家の小宮述志氏がどうやら行方不明。関係者に当たってみても、どうも手がかりがつかめなかったそうです。
小宮氏の作った人形と写る前野氏。右の少女人形が『生き人形』。左の少年人形が「生き人形」に関係しているのかは不明です。
人形舞台の台本
しかたないなあ、と考えあぐねているうちに、もうじき台本の方ができあがりそうになってきておりました。
脚本を担当したのは純文学作家の佐江衆一氏。
もう台本も仕上げにかかっていたのか、
佐江氏「稲川ちゃんのところはいいよ。稲川ちゃんのアドリブのほうが面白いから!今日帰ったら、台本全部仕上げちゃうから!じゃーね!」
その日の夜、稲川氏に前野氏から電話がありました。
前野氏「稲川ちゃん、大変だよ。先生のところ、火事で全焼しちゃった。」
稲川氏「何?!」
前野氏「さっき僕が電話したら燃えてる途中だったんだけれども、今連絡とれたら、そうじゃないんだよ。もう、全焼なんだよ。」
稲川氏「何が原因なんだよ?」
前野氏「何もわからない。」
前野氏曰く、書斎にあった今回の人形舞台の台本の原稿は燃えて無くなってしまったというのです。
※佐江氏はご存命です。
生き人形の呪い?
結局台本は新しく書き直すことになりました。
しかたがなく台本なしで始まった人形芝居の稽古。
稽古の最中、前野氏が稲川氏にちょっとの間電話してきていいかと尋ねてきました。普段は稽古熱心な前野氏がそんなこと言うなんて珍しいなと思いながらも、電話しに行かせた稲川氏。
しばらくして猛スピードで走って帰ってきた前野氏。明らかに焦っておりました。
前野氏「稲川ちゃん、帰らなくちゃ。」
稲川氏「何があったの、前野さん?」
前野氏「父の面倒を見てくれていた、いとこが亡くなったんだ。」
前野氏の家庭では相続争いがあり、その争いから遠ざけようと中野にあるマンションに父親を住まわせ、いとこに面倒を見てもらっていたそうなのです。
しかし今日になって、そのマンションの管理人さんから電話があり、さらには警察の人まで出てきて、どうやらいとこが亡くなったので、帰って欲しいとのことなのです。
人形舞台公演直前
明らかに嫌なことが続くこの人形舞台。
とはいえ、公演までなんとか漕ぎ着けることができました。前評判が良くて、テレビCMなどもありました。
しかし、公演初日、早稲田の小劇場「銅鑼魔館(どらまかん)」にて、朝皆で顔を合わせると、何かおかしい。美術さん、照明さん、音声さんなどが皆、右手と右足を怪我していました。
右足と右手、あの少女人形との共通点。何か嫌な予感が。
公演直前の昼頃、突然彼らが皆、謎の高熱で倒れてしまったのです。昼と夜の2公演を予定しておりましたが、初日の昼公演はもう無理という判断に。
急遽、由緒正しい神社に行き、お参りをして、お祓いをしてもらいました。
そして迎えた夜公演。
春ごろで暖かくなり始めていたのに加え、昼公演のお客さんも流れ込み、夜公演の観客席はお客さんでほぼ満席という状態でした。そんな客席にも異変が。
「寒い」
暖かくなり始めている行楽シーズン。しかし寒さを訴える観客が大勢いたそうです。
そうこうしていると、稲川氏の居候が近寄ってきて、
居候さん「稲川、おかしいよ。黒子さん何人いる?」
稲川氏「そうだなー。少女人形に3人、少年人形に3人、舞台監督だから、合計7人かな」
居候さん「8人いるんだよ。」
稲川氏「うそだろ?」
居候曰く、人形舞台につかうホリゾンという幕と壁との間に、もう1人黒子がいるというのです。
稲川氏「お前誰かに言ったか?」
居候さん「いや、言ってない」
稲川氏「言うんじゃないよ?皆気にするからな。」
昼公演のこともあり、周囲にこれ以上怖い思いをさせるわけにはいきませんでした。
そうこうしているうちに稲川氏が舞台にあがる準備。そのときふと幕と壁の間を見ると、確かに誰かがいるように見えました。
しかし現実的に考えればそれは舞台監督であるに違いありません。そう思っていると、
舞台監督「稲川さん、こちらです。稲川さん。」
舞台監督が背後で誘導してきました。と考えると、そこにいる黒子は舞台監督ではない。舞台上の少女人形には3人、少年人形にも3人すでに黒子がついておりました。
波乱の人形舞台開演
では、あの黒子は誰だ…と思っておりましたが、今は芝居に集中。舞台に上り芝居が始まりました。
とたんに少女人形の足と手が割れ、中の骨が見えてしまいました。
それでも無理やり芝居を続行し、ある男の芸人さんが棺桶にその少女人形を入れて運ぶというシーンに入りました。
その人形の重さは8キロ。確かに重いですが、大の男が持ち上げられないわけがありません。しかしなかなか持ち上がらない。
そしてようやく持ち上がったと思って、箱を担いで歩くと、観客がどこか騒々しいのです。
「すごい…」
「寒い…」
箱をみると、中からドライアイスを焚いたような煙が出ておりました。ドライアイス焚いたの?と聞いても、誰もそんなことしていないと言います。
最後に声優の杉山佳寿子氏が、老婆の格好をして回るシーンがございました。
そのシーンでは、杉山氏の頭に作り物の火が点くという演出がなされるはずだったのですが、実際に回った直後、何が起こったのか本物の火が点いてしまい、舞台関係者は大パニックになりました。
舞台では不思議なことが続いたものの、なんとか全公演をやり遂げました。
『生き人形』テレビ東京編
・・・この生き人形の怪異を聞きつけたのが、テレビ東京のスタッフでした。
人形の所有者である前野氏のOKも出たので取材に応じた稲川氏。
まず、番組は行方不明になった生き人形の造形師の小宮氏を捜し出しました。彼は京都の山奥で仏像をただただ彫っていたそうです。
しかし、どうにもおかしいことに途中の記憶がほとんどなかったとのこと。
生き人形の取材をするべく、ある俳優さんがに京都に先乗りしておりました。スタッフはその宿泊しているホテルに向かったのですが、何故かその俳優さんと会うことができず一回目の生き人形取材は流れてしまいました。
2回目の生き人形取材はスタッフのみで行い、なんとかカメラに収めることができました。
しかし、その後、ディレクターの奥さんが顎から首にかけて真っ赤に腫れ上がってしまうという原因不明の奇病を患ってしまいました。
さらにスタッフの1人の女性は交通事故に。
その後、テレビ東京のスタジオで稲川淳二氏の怪談を撮影するものの、本番中、テレビカメラが2回故障。
さらに、ドアが思いっきり叩かれたのですが、そのドアを開けても外には誰もいない…という怪奇現象のオンパレード。
結局、この生き人形番組は危険すぎるから中止になってしまいました。
『生き人形』TBS編
しかし、やはり過激なものに惹かれるのがテレビマンの性なのでしょうか。テレビ東京での生き人形事件を聞きつけたTBSのスタッフが改めて取材を頼んできました。
その番組は当時稲川氏がレギュラーをつとめていた『3時に会いましょう』でした。
他の曜日に人形師の前野氏も出演していたので、その日は前野氏と稲川氏の夢の生き人形共演が果たされることになりました。
準備最中、
前野氏「他の人形は売っても構わないけど、この人形だけは手離せないよ」
などと言いながら、生き人形の髪をとかしていたそうです。…おかしい。生き人形の髪が以前より伸びているような気がした稲川氏。
本番当日、本番直前にスタジオが停電になりました。
復旧後もカメラが故障し、カメラ2台で撮影を続けることに。
さらに、生き人形のアップを撮ると後ろの幕が急に落ち、照明も1台落ちてしまうという危険な事故まで発生しました。
本番は以上の怪奇現象くらいで済んだものの、後日、番組アシスタントをつとめていたアナウンサーが事故により降板。
さらに前野氏の担当スタッフが亡くなる等、生き人形の怪異は収まるところを知りませんでした。
伝説の霊能力者
生き人形について、あまりにも怪異が続くので稲川氏は前野氏を半ば無理矢理連れて霊能者久慈霊運氏の元を訪れます。
稲川の訪問を喜んだ久慈氏ですが、生き人形を見る前に勘弁してくれと言い出します。そしてこの人形を何に使ったんだと怒り出してしまいます。
どうやら生き人形には凄い数の怨霊がとり憑いていて、更に怖いのは無邪気なだけに子供や動物の霊が憑く事だと言うのです。
それでもなんとかお願いしますと、食い下がると生き人形の霊視を始めてくれました。
生き人形に憑いている一番強い霊は七つになる女の子で、赤い着物を着て踊っていた… 実際人形の舞台では赤い着物で花柳流の踊りを踊っていたのです。
そしてその女の子は空襲で右手右足を飛ばされてしまったと、また対になった青い着物の人形の存在も指摘しました。
実は舞台で使っていた少年人形に前野氏が青い着物を着せていたのです。
御礼を言ってその日は帰り、2日後に原宿の久慈氏の事務所に挨拶に寄ると事務所が閉まっていました。また一週間後に寄ったら、もう事務所の看板も撤去されてしまっていたそうです。
後に知り合いの記者に聞いたところによると、久慈氏は生き人形を見た夜に倒れそのまま3日後に亡くなっていたのです。久慈氏は生前は大柄な女性だったそうなのですが、3日で痩せこけてしまったとか。
生き人形を寺に納めるか否か
もう、さすがに生き人形をお寺かどこかに納めなければと思った稲川氏は、久慈氏の弟子の方と一緒に、前野氏に談判しました。
稲川氏「頼むから、人形の写真だけ撮って、それで人形はお寺に納めてはくれないか?」
前野氏「わかった」
前野氏もわかってくれたようで、寺に納めるために生き人形を持ってきました。
その生き人形を見た者全員が愕然。なんと、少女の髪の毛が更に長くなっているだけではなく、顔も完全に別の顔になっていたのです。
これはもう少女ではなく、女性の顔だ… と思えるほど変っていたとか。
しかし、いざ生き人形を納めるという段階になって急に前野氏は納めるのを拒みました。結局、前野氏は生き人形を手許に残すことを選んだのです。
『生き人形』生放送プラスα
そこで舞い込んできたのが大阪のABS朝日放送からの出演依頼。
伝説の生放送番組『プラスα』からの出演依頼でした。
そこで生き人形に関する話をしてくれないかということでしたが、さすがの稲川氏もこれ以上生き人形に関わりたくないし、関係者も増やしたくないというのが本音。一旦は断ることにしました。
しかし『プラスα』は再三の催促に加え、稲川氏の知り合いを利用し催促をしてきました。ついに断れなくなった稲川氏。
生き人形も前川氏も一緒に出演という流れになりました。
本番前、軽いリハーサルの最中、ふぅぅぅぅぅという音声が紛れこんでいます。
リハーサルが終わり、スタジオ上部にあるスタッフ室から活きの良い大阪弁が聞こえてきました。そこで「ふぅぅぅぅぅ」というのは、スタッフの演出かと思った稲川氏でしたが、他のスタッフの様子を見ると演出ではないようでした。
稲川氏が前野氏と休憩していると、スタッフが飛んで来て、出演予定の霊能力者がABCに到着して車を降りたとたん車に撥ねられたとの事・・・。
しかも何とこの霊能力者は2人目。1人目の霊能力者は前日、局の向かいにあるホテルのバーにて出演を辞退したのです。
霊能者A「私は行かないほうがいいようです。この件は私の手には負えない。」
スタッフ「何が手に負えないのですか?」
霊能者A「さっきからあそこで女の子が私をじっと見ているんです。」
虚空を指す霊能者。
スタッフ「誰もいないですが。」
霊能者A「いや私、見えてますから。その女の子がじっと私を見ているんです。たぶん、その人形だと思います。私が行ったら、きっとマズイことになりますから。」
スタッフ「いや、先生、そんなことないですから!」
霊能者A「いや、絶対マズイから。」
スタッフ「そこをどうにか!」
霊能者A「・・・じゃあわかりました。」
しかし、当日になって1人目の霊能者は原因不明の高熱で倒れてしまったそうです。そこで代打として選ばれた別の霊能力者が放送局へ向かったのですが、事故に遭ってしまったのです。
生放送ですので、そうこうしているうちに、番組が始まってしまいました。
霊能者不在の中始まった生き人形特集。
稲川氏の近くに敷かれた幕がひとりでに近づいてくるなど、様々な心霊現象が起こりました。
そして、3人目の霊能力者が無事、到着しました。
霊能者C「稲川さん、何か感じます?」
稲川氏「いま、ここの幕が動いたんですけど」
霊能者C「ここに居ますよ、稲川さん。稲川さんの上に男の子がいますよ。すいませんが、奥から2番目の照明の付いている棒の下のお客さんをどけてください。」
急遽、お客さんを避難させるスタッフ。そしてお客さんが避難した瞬間、ガシャーンと照明が落下しました。
霊能力者の箴言により事なきを得た事故でしたが、あまりの恐怖にこわばるスタジオ。
すると、テレビ局に抗議の電話が。
カンペ「稲川さんの斜め上と少女人形の斜め上に男の子」
そのカンペを見た司会者の乾氏が大声で
司会の乾氏「ちと、モニタ回してみぃ!!」
生放送中、目の前にテレビ画面に映るはずのものがあるにもかかわらず、モニターを確認するという謎の行動。しかし、確認したモニター上には目には見えない男の子が映っているではありませんか。
呆気にとられる司会者。あまりの恐怖に泣き出す観客。震えるカメラマン。揺れる照明。マイクに入る謎の音声。
ついにプロデューサーが登場しました。
プロデューサー「おい。この番組どうなっとんねん。どうなっとんねん?」
以下が該当部分を再度紹介した『プラスα』の動画です(9分くらいをご覧いただけますでしょうか)。
3人目の霊能力者は「カメリアマキ」氏であることがわかりました。
ただ、照明が落ちていないなど、上記の稲川氏の話は多少大袈裟に脚色されている感じがします。
気分転換
あまりに酷い現象に見舞われた稲川氏は、同じ境遇の前野氏を気遣って、予定を変更。
本当は大阪で旧友と飲み会をして、すぐに帰る予定だったのですが、気分転換のために稲川氏の当時スタッフをしていた「はるみ」という女性の親戚が経営していた西伊豆の民宿へ前野氏を連れて行くことにしたのです。
新幹線で新大阪から三島まで行ったのですが、三島に着いてみると、もう乗るはずのバスがもう最終で来ない。生放送後、すぐに出発したのにも関わらず、三島に到着したのが大幅に遅れてしまったのです。
そこでタクシーを捕まえたところ、タクシー運転手もこんな夜遅くに西伊豆のような陸の孤島には行きたくないという旨を述べて断る始末。結局、民宿の人に車で迎えに来てもらうことになったそうです。
その車内で、前野氏がふいに稲川氏に問いかけ始めました。
前野氏「なぁ、稲川ちゃん、あれでいいかね。稲川ちゃん」
稲川氏「何が?」
どうやら前野氏は車の後ろのトランクにあの生き人形をいれてしまったことを、どうも気にしているようだったのです。
前野氏「ねぇ、稲川ちゃん、あの人形、大丈夫かね?」
稲川氏「やめなさいよ、そんなこと言うの…」
ふと、フロントウィンドウを見ると、いくつもの小さな白い光が飛んできているように見えました。稲川氏はそれをムササビが飛んでいるだけだ、と思っていたそうです。
しかし、それを見た前野氏の反応はどこかおかしい。
前野氏「あ、あ…」
西伊豆の民宿にて
そうこうしているうちに、車が目的地の民宿に到着しました。
稲川氏は古くからの知り合いに会えると思い、元気良く民宿の大広間の扉を開けたそうです。
稲川氏「おーう!久しぶり!」
…大広間には皆いましたが、何故かシーンとしておりました。
稲川氏「どうしたの?そんなにシーンとして」
皆「わからないけど、そんな雰囲気になっちゃった」
すると、前野氏が後から生き人形の包みを抱えてやってきました。挨拶もせずに、大広間の座敷の奥まで行くと、無言で生き人形の包みを開け始めたのです。
異様な光景。その場に居た全員が何となく気になって、前野氏の近くに寄っていきました。
すると、目に入ったのは生き人形の顔。生き人形顔が更に変形していたのです。
生き人形の目が宇宙人のように腫れ、口が裂けている。髪の毛もひどく乱れていたそうです。
その場にいた人のほとんどが、件の人形舞台でその少女人形を見ていたものですから、その人形の変化を目の当たりにして唖然としてしまいました。
稲川氏はその日は恐怖で眠れなかったそうです。
翌日、その民宿を紹介してくれたはるみ氏の実家の着物屋の女将さん、つまりはるみ氏の母親が生き人形の話を聞いて、
女将さん「私がその人形の魂を納めるために着物を作りましょう」
と提案してくれたそうです。そして、その着物が完成し、生き人形は青い着物に包まれました。
これで大丈夫かと思い各自、自宅に帰りました。
前野氏の生き人形
その日の夕方、稲川氏が自宅で作業をしていると、呼び鈴が鳴りました。前野氏が尋ねてきたのです。
前野氏「稲川ちゃん、いま人形を置いてきたんだけど、茶巾寿司にお茶を置いてきたから、お腹もすかないし、喉も渇かないよね?」
稲川氏は前野氏があまりの恐怖で生き人形にお供え物でもしているのかと考えました。
その年の秋、その少女人形を使って舞台をすることになっておりました。しかし、前野氏は怖かったのか、別の人形を使うことにしたのです。
その公演は成功。
打ち上げパーティには稲川氏は参加できなかったようですが、参加者によると前野氏が途中からいなくなってしまったというのです。連絡もつかない。
前野氏は結局そのまま行方不明になってしまったのです。
前野氏の失踪から1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月が過ぎようとしていた時のこと。稲川氏がいつものように帰宅して、自宅の玄関のドアを開けると、玄関に大きな目玉のポスターが貼ってありました。
稲川氏「気持ち悪いポスターだねぇ!これ貼ったの誰?」
??「…稲川ちゃーん」
声の方をみると、なんと行方不明だった前野氏がいるではありませんか。前野氏の恰幅の良かった体はげっそりと痩せ細り、黒いロングヘアーは真っ白に変わっておりました。
前野氏「稲川ちゃん、大丈夫だよ。家を出るときにね、三角の白い紙を置いてきたから、あれが四角くなったら、すべて丸く収まるよね、稲川ちゃん。」
意味不明なことを話した前野氏。さらに失踪中の2ヶ月半の記憶がありませんでした。
生き人形の祟り
しばらく日が経ち、ようやく正気に戻った前野氏。もともとは著名な人形遣いであったので、東ヨーロッパのある国から様々な人形を見せてくれと言われたそうです。
そして前野氏の東ヨーロッパ出発前日の夜、稲川氏に前野氏から電話があったそうです。
前野氏「稲川ちゃん、いよいよ行くことになったよ。」
稲川氏「うーん、そうなの。がんばってね!」
前野氏「うん。」
と、他愛もないやりとりの中、ふと稲川氏は生き人形のことが気になりました。そこで、聞いてみることに。
稲川氏「前野さん、あの人形は?」
前野氏「人形はね、作った作家のところへ一時預かってもらうために持って行ったよ」
なんてことはない結末。安心した稲川氏は前野氏に別れを言い、電話を切りました。
次の日、稲川氏は仕事を終えて夕方家に帰ってきました。すると、奥さんが顔色を変えて稲川氏に話してきました。
奥さん「大変よ!前野さん、死んだみたい。」
稲川氏「何だそれ、お前?死んだみたいって?」
奥さん「焼け死んだみたいなの。」
稲川氏「いつ?!」
奥さん「昨夜」
稲川氏「…?!『みたい』ってどういうことだ?」
奥さん「新聞で前野さんの自宅が火事になって、焼死体が見つかったそうなのよ。状況から考えて前野さんとしか考えられないわよ」
稲川氏「そんなわけないだろ!」
しかし、稲川氏が確認すると亡くなったのはやはり前野氏でした。
前野氏は寝タバコはしない、お酒には強いし、いい加減な呑み方はしない、51歳まで1人暮らしを貫いてきた男がそんな死に方するわけない。
何より、昨夜は稲川氏自身が前野氏と電話で話したではありませんか。
…振り返ってみると、前野氏から電話を受けた時間は、前野氏が亡くなった時間とほぼ同時刻。ということは、火事の最中に電話をくれたのか、あるいは亡くなった後電話をしてきたのか。
まとめ
『生き人形』には冒頭のとおりこの後日談もあるのですが、それはまたの機会に。
<<かぐや姫の解散コンサートに心霊の声?「私にも聞かせて」>>
最後までお読みくださいましてありがとうございました。